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僕は羊
僕は自分が弱い存在であることをある程度知っていますし、実感もしています。さらに、まだ自分が知らない弱さも持っていることも知っています。それは最近書いている自分の言行が一致していないことや理性の限界などについても書いてきました。
僕はただ自分の弱さを宣言して、卑下したり自己憐憫したいわけではなくて、自分を強くしてくださる方の存在がいかに大きく、また必要であるかを伝えたいだけです。イエス様は僕が弱い時に助けてくださります。それは臆病で自分では何もできない羊が羊飼いについていくのと全く同じです。
しかし、『誇る者は主を誇れ』と書いてある。
コリント人への手紙第二 10章17節
イエス様がいればそれでいいのか?
僕にはイエス様が必要ですが、イエス様がいればそれでいいのか?と言われればそれはまた違います。僕には教会も必要です。僕は聖書における教会の重要さについてそこまで理解はないのですが、教会はキリストの体であることは知っています。
また、神は万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、すべてにおいてすべてを満たしておられるかたの満ちておられるところです。
エペソ人への手紙 1章22-23節
また教会は真理の柱でもあります。
この家は、生ける神の教会であり、真理の柱また基である。
テモテへの手紙第一3章15節
また、教会には天と地をつなぐ権力が与えられています。
そこで、わたしもあなたに言っておく。あなたはペテロである。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の門もそれには打ち勝つことはないであろう。わたしはあなたに天国のかぎを与える。なんでもあなたが地上でつなぐことは、天においてもつながれており、なんでもあなたが地上で解くことは、天においても解かれている。
マタイによる福音書 16章18-19節
教会があったからこそ
僕はこれまでの信仰生活で教会に助けられたことは何千回とあります。あの時の説教、あの時の礼拝、あの時の祈り、あの時の兄弟姉妹の言葉、あの時の交わりなどなど、自分が助けられたことは数え切れないくらいあります。
教会があったからこそ、自分はこの信仰生活を続けてこられているんだという確信があります。そして、僕は教会が大好きです。それは神様が愛しておられるところだからです。教会は人間の目で見れば魅力的に映らない場合もあるかもしれませんが、霊的な目で見れば、この地上においてこれ以上に素晴らしいところはないと言いきれるほど恵みに満ちたところです。
だから、僕が教会に対していつも思っていることは、僕もこの教会のために何かしたいということです。僕がこれまで何度も助けられて、励まされて、霊的に立ち上がることができたように僕自身も教会を通して兄弟姉妹やこれから教会に来られる方をイエス様によって励まして頂いたり助けて頂きたいと願っています。