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無痛治療
先日歯医者に行きました。親知らずの抜歯は完了したのですが、親知らずの横に生えていた奥歯の側面も虫歯に浸食されており、奥歯も処置をしないといけなかったからです。根元からやられているので、削って詰め物というわけにはいかず、がっつり削って神経抜いて、被せ物を被せるという処置になりました。
前回、親知らずを抜いた時も気づいたのですが、最近は麻酔の注射すら痛くないようにできているようです。数十年前は麻酔の注射はチクっと痛みがあり、また麻酔の液体が舌にこぼれてきて舌も感覚がなくなるということがありました。
しかし、最近?の治療ではまずは薬液的なものを歯茎表面を軽く麻酔しているようです。そして歯茎表面に麻酔がかかった時点で本麻酔をしてがっつり麻酔を施していくようです。このおかげで麻酔から処置までで全く痛みを感じませんでした。まさに無痛治療ってやつだと思いました。
銀の詰め物
その話はどうでもいいのですが、今回麻酔をして待っている間、目の前にある液晶のモニターをぼーっと眺めていました。僕の歯のレントゲン写真とデジカメで撮影した画像がずらっと並んでいます。
日常生活で見える歯と言えば、正面からと下あごの歯だと思います。一方上あご側の歯はなかなか見ることはありません。デジカメの写真には上あご側の銀の詰め物が入った歯が複数映っていました。
自身の歯にこんなにも多くの銀の詰め物が詰められているということに驚いたと同時に、こんなことも思ってしまいました。
火葬後に残るのは
それは自身が火葬されたあとに残るものは、この銀の詰め物だけだということです。頑張って鍛えたこの肉体もそこそこ努力して習得した知識などもすべて無に帰します。もちろん、身体的な特徴は写真として残せますし、知識も文字として残すことができます。
しかし、やはりそれは僕自身ではなく、僕のコピーでもなくただの情報にすぎないと思います。
もし、人間という存在がたったそれだけなのであれば、なんとも虚しい存在だと思います。僕の場合、相続とかは別にして火葬後に残るのは物質的な銀の詰め物だけなのですから。
永遠に残るもの
しかし、聖書は人間をそのような存在としては教えていません。人間は霊的な存在であるからです。そして、この地上はあくまでも種として撒かれたものにすぎず、本番の花が咲くのは天のふるさとに行ってからなのです。
イエス様の十字架によってあがなわれたこの魂は永遠に続きます。そして、この地上で神様のためにしたことも永遠に残ります。またそれだけでなく、この地上においても救われた永遠の喜びも心に与えてくださいます。
そう思えば、火葬後に残る者がたとえ銀の詰め物だけだったとしても何も虚しくないと思えました。
いい1日
そんなことを思っていると先生が来て、奥歯を削る作業をされていきました。今日もとてもいい一日でした。