0680_本を読むだけの人

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わかっていることとできること

最近、「わかっていること」と「できていること」の大きな違いを少し認識できるようになってきました。例えば、書籍などで「感謝の心を忘れないようにしましょう」や「正直になりましょう」と読んで知ったとしても、実行しなければ意味がありません。

また、当たり前ですが、順序としてそういった知識を知ってから、そうなりたいという気にならないと実行に移す気にもなりません。さらに、たとえ「気」があったとしても、感謝の心や正直な心を打率100%の状態で実行できるまで身体に落とし込んでいくのは簡単なことじゃありません。

できる時とできない時

それは、「わかっちゃいるけど、できない」時があるからです。心が平穏な時、余裕がある時、満たされている時は感謝な心や正直な心は比較的もちやすいものです。しかし、日常生活を送る中で、様々なストレスや過度の疲労などのきつめの負荷がかかる時、それを実行するのが難しくなります。

親切な人、穏やかな人、人としてできている人は多くいると思います。しかし、その一貫性を保てる人は多くないと思います。ですので、まだその人のことを良く知らないうちはいい人に見えるものです。しかし、その人のことを良く知り、特にある刺激が入った時にどんな反応をするかが分かった時に、その人に一貫性があるかどうかが明らかになります。

どんな困難なことがあってもぶれずに正直でいられる、感謝の心を忘れない人は訓練された人だと思います。

できるための恵み

クリスチャンはイエス・キリストに心にお迎えする特権を持っています。イエス様が心に住まわれる時、心に平安がやってくるのを体験します。そして、心が満たされるのを感じます。そういった時は、どんな過酷な刺激がやってきても耐えれたりするものです。

僕もそういった経験を何度もしてきました。「いつもの自分だったら腹が立っているけれど、今はイエス様が支配してくださっている」や「いつもだったらキャパオーバーでイライラしているのに、平安な心が保てている」といったことがあります。

恵みにあずかるために

僕がまず、しないといけないのは「いつも感謝な心を持っていたい」や「正直でいたい」や「親切な人でありたい」と本気で思うことです。それは聖書に記載されている御言も同じです。もし、僕が聖書を読んで知っているだけなら何の意味もありません。それを行えるようになりたいと思わないと何も始まりません。

そして、たとえ「気」があっても実行できない自分を知ります。その時にはじめて聖霊の助けなしにはすることができないことを知ります。

だから、へりくだりの心がいつもほしいと思います。どんな状況にあってもイエス様に頼れる人が言行一致の人だと思う~です。

おっさん
■聖書はできるようになるための助け手を送ってくださると約束してくださっている

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