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人間は人間
人間は人間であって動物ではないというのは誰も否定しないことだと思います。人間には動物がもっていない理性をもっています。また相対的に大きな脳をもっており高い学習能力ももっています。
成長とともに本能のままに行動しなくなるのは高い学習能力の産物であり、また理性をもっているからです。赤ちゃんはうれしいことはうれしい、嫌なことは嫌、喜怒哀楽が顔に出て本能のままに行動しますが、成長するにつれて社会的な存在へと成長していきます。
もし、すべての人間が思ったとおりに衝動的に行動しているのであればこの社会は成り立たないし、無秩序で混沌とした世界になっていたことでしょう。しかし、人間は理性によって自身を制御できる力をもっています。それが人間社会が成立した前提条件だと思います。
理性には限界がある
しかし、僕が思っていることは理性には限界があるということです。理性の限界は、たとえ人前では感情を隠せたとしても心の中に生まれた感情までを制御することはをできないという点です。
理性は見えるところの世界、社会的に生きるためには非常に有用ですが、見えない世界、心も含めた全人間的に一貫した生き方をするには無力です。
だから、「人間は動物と違う!人間には理性があるんだ!」と言ったところで、心の中で制御できていないなら、その理性に何も誇れるところはないと思うのです。
僕は自身が誇れない存在であることを知っています。僕は肉においては動物的であるからです。たとえ、僕が見かけや表情をごまかせたとしても、心の中は本能いっぱいで考えてしまっているのです。
人間は霊的な存在
しかし、見逃せない真理があります。それは人間が霊的な存在でもあるということです。人間を創造された神様は人間が身体も心も魂も完全に一致した存在でいられるようにする希望を与えてくださっています。それは以下の御言に旧約聖書の時代から預言されていました。
主は言われる、わたしが後の日にイスラエルの家と結ぶ契約はこれである。すなわち、わたしの律法を彼らのうちに置き、これを彼らの心に書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
エレミヤ 31:33
これは理性の限界を知っている人間への希望の御言です。なぜなら、心の領域において、それができるようにさせてくださるということだからです。神様が直接心に語りかけてくださり、聖霊の助けによって心が制御される望みを抱くことができるのです。
心の領域においてはなお動物的
何度も書きますが、僕には理性がありますが、心の領域においてはなお動物的です。主イエス様だけがこのようなみじめな状態から僕を救ってくださるから感謝です。