1663_AIに関するシンポジウムに参加して

オードリータン氏が登壇

今日は会社からの勧めで京大で開催されたシンポジウムに参加してきました。このシンポジウムには元・台湾デジタル大臣のオードリータン氏が登壇されるということで少し楽しみにしていきました。少しというのは、僕は彼のことはほとんど知らずニュースで少し見た事があるくらいの知識しかなかったからです。

今日はその参加した感想を書こうと思います。

AIと共生する

まず、アカデミックなシンポジウムであったため、学問の立場からAIによる民主主義の可能性が広く議論されていました。たとえば、AIを道具や奴隷としてではなく民主主義を促進するためのファシリテーター(エージェント)として人間と共生する存在として捉えるなどです。

一例として、西洋の庭は人工的に設計され均質性が重視されますが、日本庭園は人間が意図して配置していない存在も受け入れて共生しています。たとえば、苔寺にある苔に自然に生えたキノコなどは排除されずに共生している。登壇者は「AIもそれと同じだ」と言っていました。

シリコンバレーのAIの進歩はハンドルのない車を運転しているようなものであり、上に突き進むだけではなくて左右に広がりを持たせる共生という考え方が大切だと言っていました。

きれいごと

僕は普段実務でAIを都合よく奴隷として使っている身として、こんな純粋な人たちがいるんだと正直驚きを隠せませんでした。すごいことを考えているけれど、悪く言えばすべて「きれいごと」だと思いました。

アメリカではテクノリバタリアンという人たちが台頭してきており、僕自身は脅威に感じていますが、だからと言ってアカデミックな主張がこれに勝てるとは思いません。莫大な富を持っているテクノリバタリアンが人々の感情を動かすツール(AI)を手にしたら、民主主義は衰退すると思います。つまり、AIは奴隷として使われる運命だと思うのです。

人間は自分で考えることを忘れ安きに流れ一旦、非民主主義に振れ切って辛苦をなめたのち、今回のシンポジウムで語られていたようなことが「やっぱり大切だったよね」となるんだと思いました。

オードリータン氏が登壇

とはいっても、上記はあくまでも現時点での僕の主観なのでもっと勉強しないといけないと思わされました。早速オードリータンの600ページに及ぶ書籍を買おうと思いましたが、レビューにはほとんど「理解できなかった」とあり、僕には無理だと思い諦めました。

その一方で登壇されていたスマートニュースの代表である鈴木健氏の「なめらかな社会とその敵」なら読めるかもしれないと読んでみようと思います。

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