1096_神様なしでも仕事は確かにできるが、それは周りに犠牲が伴っている場合がある

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今年の年度末

今年の年度末は様々なプロジェクトの納期が重なり、優先順位をつけて多くの案件を4月以降にずらしてもらいました。それでもこういう時に限って横やり的な突発的な急ぎの案件が入ってくるので、すでに自分の心が乱されないかとても心配しながら毎日過ごしていました。

それは、これまで忙しいの字のとおり心が亡くなるとイライラしてしまったり、余計な一言を言ってしまったり、周りに忙しいアピールをしてしまったりとあとから反省することが多かったからです。そういう人って相当イタイ人で周りから疎まれるタイプの人間ですが、それがまさに僕でした。

祈りで乗り切る

だから今年の年度末は毎朝主により頼んで過ごしました。その祈りは、「イエス様の愛ですべての人を受入れて過ごせるように」というものです。なぜなら、忙しい時に横やりの仕事が入るとどうしてもイライラしてしまっていたからです。そんな状況においても、感情的にならずに冷静に丁寧に対応して優先順位を正しくつけたいと思いました。

かくして予想どおり3月の中旬以降から予定しなかった「最優先でやってくれ!」という依頼が複数入ってきました。その連絡が入る度に頭が痛くなりました。その夜祈っていても本当に全部の仕事を完結できるのか?という恐れや圧迫感などが来ました。しかし、ネガティブに断ってもしょうがいなと思い、祈って「やる!」と決めました。

主が助けてくださった

その日以降、仕事は予定以上に順調に進みました。想定以上に早く他の仕事が片付いたことで横やりの最優先の仕事もこなすことができました。これは本当に主が助けてくださっているからだ!と確信しました。また、最優先でやって修正につぐ修正依頼が相次いでもイライラすることなく丁寧に対応することができました。

さらに、仕事が多くなると他の優先順位が高いものを見逃したりしてしまいますが、それも見逃すことなく冷静に全体をみて業務にあたることができました。

何事をするにも

今年の年度末を通して僕は自分自身では仕事すらできないと痛感しました。確かに仕事をすることはできるかもしれません。しかし、それは周りに迷惑をかけたり、摩擦をおこしたり、否定したり、周りに犠牲を伴う仕事の進め方です。

だから、僕には日々の仕事でイエス様の助けが必要です。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ヨハネ 15:5

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