あと39回
僕には今年できなかったことがあります。それは聖書の年間通読です。聖書は読んでいますが今年は通読できなかったのです。これは非常に情けない結果です。なぜなら、以前もブログに書きましたが仮に70歳で死ぬとしたらあと39回しか通読できないからです。
有名な聖書箇所や説教でよく引用される御言には触れ続けることができると思います。しかし、マイナーな御言などは切実に生涯接触回数が39回になる可能性が十分にあるのです。これはおそろしいことだと思います。
10分の1の時間
聖書は毎日4章読めば一年で通読することができます。これがもし一日1章であれば4年かかります。この場合、70歳で死ぬならあと10回しか読むことができません。各章は長さに差異があり通読にかかる時間は一定ではありません。普通に読めばおよそ20分~30分ほどで読み終えることができます。
1日は誰にでも24時間与えられています。8時間睡眠し10時間仕事で拘束されるとするなら、6時間の可処分時間が残ります。それは360分に相当します。その時間のうちの10分の1の時間を通読に充てるかどうかが問題です。
悔い改めた
正直に書きます。僕はこの360分をだらだら使ってしまっていたのです。自分が決めたとおりに自制の1日を過ごすことができた日もありますが、それ以上に流されて怠惰に生きてしまった1日が多くあります。それが通読できなかった原因なのです。
このことを主の前に悔い改めていた時にチャレンジが与えられました。そのチャレンジには早寝早起きも含まれますが、それ以外に中国語で音読で通読しようというチャレンジが与えられました。
今年から既に助走
そこで、中国にいた時に買った中英対照聖書を引っ張り出してきました。これであれば中国語で読んで時々英語も見て英語でも読むことができます。早速、昨日の主日礼拝ではこの聖書も持って行って、中国語で読むようにしました。さらに今朝から来年の通読も始めました。
来年のこととなると、年が明けてからスタートだと思いがちです。しかし、今年から既に助走しておれば年が明けたときに垂直立ち上げをすることができます。2026年はなんとか中国語音読での通読をしたいと思います。












