1746_ペンテコステ集会に参加して見えた課題 | 夫婦の背景差と対話の課題

ペンテコステ派の集会

この年末はほとんど予定を入れず家族と過ごす予定でした。ただ、いつも見てるYoutubeの説教者が年末に3日間、僕が住んでいる地域で特別集会があることを告知していました。僕は参加したいと思いましたが、集会がペンテコステ派の集会だったので嫁さんがどう思うか気になってしまいました。

というのも、嫁さんは福音派出身で、僕たちは福音派の教会に行っています。嫁さんは自由な礼拝や祈りや異言とかに対して少なからず抵抗があります。そもそも、「所属している教会があるのにわざわざ別の教会が主催する集会に行く必要があるのか?」と思われそうな気がしてしまいました。

どうしても行きたい

しばらく、行ってもいいかどうか聞くのを躊躇しました。しかし、次第に「どう思われてもいいから、どうしても行きたい」という気持ちが強くなってきました。そして嫁さんに行きたいと伝えると、嫁さんが内心どう思っていたのかはわからなかったですが、「いいよ~」と言ってくれて僕一人夜の集会だけ行くことになりました。

僕は3日間ある集会の2日目の晩の集会だけ参加しました。集会が始まるまでにまだ15分ほどあったのですが僕は誰一人として知っている人がいないので、一人椅子に座って集会が始まるのを待ちました。

助けてください

まず、集会の中で自然と自分の口から出た告白は「私たち家族を助けてください」という言葉でした。僕は今年次男が天に召されてから自分の気持ちを押し殺して生きてきました。それは、少しでもそのことを考えると自分の気持ちがもっていかれて主から離れそうな気がしていたからです。

しかし、聖霊にふれられた時、僕の心は開かれました。主に対するありのままの自分の告白が口から出たのです。それから主が確かに知っていてくださって、そして確かに助け手くださるお方だということが確信に変わりました。

ローマ人への手紙 8:26
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

主は良いお方

次に、与えられた言葉は「主は良いお方」だということです。一般的に自分のこどもがが死ぬということは不幸な出来事です。しかし、信仰はそれすらも「主のゆるしの中で行われた」と受け入れます。その時に敵の声が入ってくるのです。それは「こんな不幸で悲しい目にあわせている主が本当に良いお方なのか?」という惑わしの言葉です。実際、今年一年はそのように思っていたのです。

僕はこの集会の賛美の中で、はじめてその敵の声を明確に認識し、その否定的な言葉に対して「主は良いお方」であるということを宣言しました。その時に信仰がきたのです。主は本当に良いお方。そして主は本当に良いことしてくださるという確信に変わったのです。

必要な日

今日の集会ではこれ以外にも多くの語りかけやチャレンジをもらいました。新しい一年を迎えるにあたり自分にとって必要な日であったと心から主に感謝しています。

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