1246_体調不良の中で教えられたこと

恵みによって生きれているだけ

このお盆の期間の体調不良を通して大切なことを教えられたように思います。教えられたことはいくつかあります。そのうちの一つは「僕が思っているほどに僕は信仰深くない」ということです。これは厳しくも神様からの語りかけであったように思います。

僕自身はそんなことはないと思っていたのですが、平日の1日の時間を天引きして主の前に出れていることを自分の誇りとしている一面があったと教えられました。主に仕えるしもべであればそんなこと当然のことで、誇れることなど何一つありません。むしろ、恵みによって生きれているだけなのです。

何か特別な者であるかのよう

二つ目は同世代で主のためにフルタイムの献身をして心から主を愛して心から自身を捧げている器が日本にも大勢いるということでした。これは僕自身が井の中の蛙であることを教えてくれました。今行っている教会では20代、30代はほとんどおらず僕の世代はほとんど即戦力として期待されているところがあります。

そういった周囲の期待から、僕は何か特別な者であるかのように大いなる勘違いをしていたようでした。実際は、聖書にもあるように神様は石ころからもアブラハムを起こすことができるお方なのです。僕は何をいい気になっていたのだろうと恥ずかしくなり穴があったら入りたくなりました。

はじめの愛にかえりなさい

三つ目ははじめの愛に帰るということです。これはここ数年の僕の課題でした。主を愛したいと願っているけれど、初めて主の愛を知った時ほどの感動はないと思っていました。それは霊的な成長とともに感覚よりも御言に固く立つ信仰へとステップアップしていく過程だからしょうがない、むしろ、そういうものだと言い聞かせていたところがありました。

大人になればなるほど、若いころの情熱は失われるものだと思いこんでいました。しかし、主の語りかけは違います。主は相変わらず「はじめの愛にかえりなさい」と語り変えてくださっていました。

主のために精一杯したい

四つ目は、以前も書きましたが家庭集会をする決断をするということです。家庭集会をするためには牧師先生や家族にも相談しないといけないし、ある程度の犠牲も要求されます。自分の体調が悪い時はどうしたらいいんだろう?とかやっても続かないかもしれない。とか様々な不安が正直ありました。

しかし、主ははじめられたことは主が続けさせてくださるという確信も与えられました。なによりも、今できることを主のために精一杯したいという思いが強くなってきました。最初の一歩は少し不安がありますが、主と共に新しい一歩を踏み出そうと思います。

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