1921_若かりし頃の信仰はフォーナインレベルで純度が高かった | 今はどうか?

フォーナイン

僕はある一面においては、いつでも救われた17歳の当時に戻りたいと思っています。なぜなら、当時の自分のイエス様に対する愛は純粋だったからです。おそらく、純金基準である99.99%のフォーナインレベルで純度が高かったと思います。

本当に主のために人生を捧げたいと思っていたし、主ご自身以外には何の興味をも示すことはありませんでした。18歳にして朝早く起きて山に祈りに行くということさえしていました。ただただ主との愛の交わりの時間を慕っていたのです。

「信仰」だけではいけない

しかし、成長するにつれて次第に「信仰」だけではいけないということも学ぶようになりました。当たり前のことですが、この世界で生きていくにはこの世界に染まらずとも適応し、多くのことを学ばなければなりません。でないと仕事すらできません。

そのことを知ったの相当遅く22歳くらいの時でした。それからそれまでの大幅な遅れを挽回するために自分で頑張ることが始まりました。僕はその時から少しずつ主から心が離れていったと感じています。

純粋に主だけを求めたい

気付いた時にはもう30代になっていました。僕は若かった頃よりも多くのものを持つようになっていました。もちろん、すべて主から与えられたものです。しかし、自分の語学力やITスキルやお金や会社でのポジション、また家族や友人関係などに執着するようになりました。自分に与えられたもので満足し、安住し、手放したくないと思うようになったのです。

そのようなところから抜け出して、もう一度純粋に主だけを求めたいと思ったことがこのブログを書き始めたきっかけになっています。それから5年ほど経過しますが、まだその途中にあります。

4つのPに気をつけろ

ある海外の牧師先生はこのようなことを言っていました。それは4つのPに気をつけろというものです。それは、possessions(所有物・財産)、pleasure(快楽)、prestige(名声)、power(権力)です。それらは自分を一時的に満たしてくれるが、魂にとってはジャンクフードに過ぎないと言ったのです。腹を満たしはするが健康にはならないということです。

僕が若い頃はそれらは持っていませんでした。また今ももっていないに等しいです。しかし、実はそれらのものに執着していると教えられたのです。僕はもちろんこの4つのPを持っていそうな富裕層、有名企業の社長、政治家などではありません。しかし、自分に与えられているわずかなものにすらも執着していることが問題だと思わされたのです。

僕はこれらのものからデタッチメント(執着からの離脱)できるように祈ります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)