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イエス様にはじめてであった時の体験
最近強く願っていることがあります。それは、イエス様に初めて出会った時のあの感動がもう一度ほしいのです。あの時は今以上に祈りこそが至福の時で、イエス様との祈りの時間や賛美の時間さえあれば他のものは何もいらないと心の底から思えていました。主イエスを得ることはすべてを得たりとはこういうことなんだと思いました。
しかし、自分のライフステージが学生から社会人、子供から大人、育てられる側から育てる側に変わっていく中で、大人のクリスチャンとはそれだけじゃだめだと思うようにもなりました。
深い祈りからの次のステージ
ようは自分が祈りの中で至福を感じているだけではクリスチャンとして不十分だと思うようになったのです。そこが悪く言えば、コンフォートゾーン、安逸の場になってしまっては、戦えるクリスチャンにはならないと思いました。
さらに、このようなことも思いました。神様の臨在が感じられない時は不安だという段階です。そのためには本当の信仰者としての信仰が必要になりました。僕が主観的に感じるかどうかは関係なく、感情も関係なく、ただ、御言を信じることこそが最も大切という段階にいく必要がありました。
さらに次のステージ
次は御言を大量に暗唱するステージに連れていかれました。確かに、個人的に祈った至福の体験は主観でしかありません。神様の恵みや祝福や魂の救いは必ず客観的に存在している真理の御言によってでしか、人に伝達できないと思うようになりました。そして暗唱した御言で個人的に祈り、教会で祈り、人のために祈りという実践を今しています。
しかし、それだけでは、何かが足りないのです。それは、先日も書きましたが、深い神様との愛の関係です。それは深いイエス様との交わりの祈りの中でされるものだと思います。だからこそ、僕は初めてイエス様に出会ったあの感動がもう一度ほしいと思うのです。
それは聖書の御言にあるとおり、この救いの喜びの体験です。
神よ、わたしのために清い心をつくり、
わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
わたしをみ前から捨てないでください。
あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
あなたの救の喜びをわたしに返し、
自由の霊をもって、わたしをささえてください。
そうすればわたしは、とがを犯した者に
あなたの道を教え、
罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
詩篇51:10-13
救いの喜びをもう一度と祈ります。