ここ数日、仕事において期待されている業務を円滑に遂行できず、全く太刀打ちできなくて、すごく落ち込みました。それが現実であり、今の自分の限界だとも思い知りました。特に、それが自分の得意分野であり、それなりに築いてきたキャリアの分野であるからこそ、プライドも何もかも根こそぎやられたような気分になりました。
あまり何も考えたくもなく、早く寝て、翌朝起きて、やらないといけないと思って能力開発に取り組むものの、そんな一日二日でどうにかなるわけでもなく、周りからの評価や迷惑をかけているという重圧に押しつぶされそうになりました。
こんな気持ちが2日ほど続き、3日目の朝、目が覚めた時にこのような言葉の語りかけがありました。
「悩みの日に私を呼べ。私はあなたを助け、あなたは私を崇めるであろう。」
詩篇50:15(口語訳)
そうか、今は悩みの日だから、主に助けを求めようと思いながらも、再び二度寝しました。そして、目が覚めてから、聖書を開いてルーティーンとなっている聖書箇所を次々に読んでいって、それから、祈りました。
特段と心に大きな変化があったわけではないですが、やるしかないという気持ちでした。そして、その日の部内会議の時に、ちょうど、自由に発言するタイミングがあり、ここ数日思っていること、特に能力が圧倒的に足りていないことにより、チームのメンバーに迷惑をかけていることを伝え、大変申し訳なく思っていることを伝えました。
すると、チームのメンバーは、そこは太刀打ちできなくても大丈夫だし、お互いがお互いを補完し合って業務を進めればいいと励ましてくれました。
期待に応えないと、役に立たないと、いや、僕は期待に応えるどころか、全く役に立ってはいないと思っていた消極的な思考から、また重くのしかかっていた重荷がすっと落ちた気分になりました。
神様の一方的な憐れみと恵により、このような素晴らしいチームの中に僕を置いて下さったこと、また、自分が強がることなく、弱さをチームのメンバーにカミングアウトできたこと、すべて神様の恵のほかありません。
「悩みの日に私を呼べ。私はあなたを助け、あなたは私を崇めるであろう。」
詩篇50:15(口語訳)
ただただ、主イエス・キリストだけを崇めます。
あなたのほかに私の幸いはありません。