モラルハザードと言う言葉
モラルハザードと言う言葉があります。例えば、銀行が債務超過した場合、破綻して倒産してしまいます。しかし、もし中央銀行が大きすぎて潰せないとなると資金注入して銀行を救うことになります。これにより国民の預金も保護されるようになります。しかし、これにはモラルハザードが起こる可能性があります。
それは、銀行が「前回中央銀行が助けてくれたから次も大丈夫だろう」と思う可能性があるからです。その安心感がより一層大きいリスクを取らせることにつながるのです。
あらゆるところにある
これは必ずしも金融業界の話ではありません。保険業界も同じです。保険利率は保険数理士が計算しますが、これも絶妙な計算がなされています。事故の起きる確率や車種や事故歴などを参考にしますが、モラルハザードが起きないようにしているのです。
例えば、自動車保険の場合、仮に10,000円/月だったものが100円/月に値下げされたとします。そうなると、車を運転する人は「保険料はどうせ安いから多少乱暴な運転をして事故をしてもいいだろう」と思ってしまう可能性が出てくるのです。これもモラルハザードです。
信仰におけるモラルハザード
僕は自分自身の信仰でモラルハザードが起きていることを知っています。それは以前ブログにも書いたことがあります。
1356_天の父は以前のように今回も僕を赦してくださるだろう
一度赦されます。そのあとも、たとえ罪を犯したとしても真の悔い改めがあれば主は赦してくださるのです。しかし、肉はこの主の憐れみ深さ、恵み深さ、慈悲を逆手に取ります。それは「前回も赦してもらったら、今回も大丈夫じゃん」という心の声です。
神のみこころに添うた悲しみを伴う
しかし、僕は思うようになりました。自分がしている悔い改めとは真の悔い改めではなくて、悔いているだけではないのだろうか?と。つまり、僕の中に甘えがあり、モラルハザードが起きているということです。真の悔い改めとは肉によるものではなく、霊によるものです。それは神のみこころに添うた悲しみを伴うものです。
神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。
コリントの信徒への第二の手紙7章10節
もし僕が依然として肉による悔い改め(内実は悔いているだけ)であれば僕はこのままずっと変わることはないと思いました。