過酷な夏だった
今日で9月になりました。今年の夏はこれまでで経験したことのないほど個人的には過酷な夏となりました。7月、8月は自分が経験したことのないところを通される中で、イエス様に対する姿勢や祈りに対する姿勢を訓練されたように思います。
人はへりくだっていると思いながら、へりくだれていないことがほとんどです。それは僕も含めて多くのクリスチャンがそうだと思います。生ける真の神の前に本当にへりくだっている人とはそう多くはなく、一握りという印象です。
過酷な夏で受けた訓練
僕にはまだまだ砕かれないといけないものがあることを自覚しています。また自覚はできていなくても砕かれないといけないものがきっとあるでしょう。僕にはまだまだ神様の前に本当にへりくだれていないことに変わりはないですが、へりくだりの下がり具合がぐんと下に下がった気がしています。
それは僕の肉体に弱さを覚えることが多かったり、自分ではどうすることもできずただただ神様に祈るしかない状況に置かれたからです。また、自分のこだわりやルーティンが崩壊したことにもよります。
飢え乾きが増した
先日はコロナに罹患し、高熱が下がったあとも息がきれたり喉が痛かったり、何をしても倦怠感があるような日が続いていました。起きていても、仕事をしていても、奉仕をしていてもしんどいなぁと思う日が続いていたのですが、そんな時、お風呂で神様を強く感じることがありました。
その日は、とりあえず疲れていて、ただただ神様に祈りたいという気持ちが強かったです。湯船に浸かり祈るとすぐに神様の臨在を感じました。それは、以前の教会を離れてから初めて感じるような強い神様のご臨在でした。
神様の臨在と語りかけ
特に御言を告白することなく礼拝をしました。ただただイエス様を愛してるということとあなたを礼拝するということ。あとは僕はあなたのしもべに過ぎないこと。それだけを告白しました。その他多くの祈祷課題を祈りつつ、あっという間に1時間が経過していました。
その個人的な礼拝の最後に、神様がこのようにおっしゃった気がします。「わたしはあなたを回復させる。以前あなたに伝えたことを回復させる。」この言葉を頂いてからこの御言を思い出しました。
主がシオンの繁栄を回復されたとき、
われらは夢みる者のようであった。
その時われらの口は笑いで満たされ、
われらの舌は喜びの声で満たされた。
その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と
言った者が、もろもろの国民の中にあった。
主はわれらのために大いなる事をなされたので、
われらは喜んだ。
主よ、どうか、われらの繁栄を、
ネゲブの川のように回復してください。
涙をもって種まく者は、
喜びの声をもって刈り取る。
種を携え、涙を流して出て行く者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。
詩篇126:1-6
主は必ずこの地に回復をもたらしてくださると信じました。そしてお風呂を出るときにはコロナの倦怠感は全く無く、2泊3日の温泉旅行に行ったかのような気分でお風呂を出ました。