0227_あら、まぁかわいい〜!家におってくれるだけで幸せやな〜!

道端で井戸端会議する者の声が

家の窓を開けているとよくおばちゃんの大きい声が聞こえてきます。玄関の前で井戸端会議が始まるのはしばしばあるのですが、先日はこのような声が聞こえてきました。

「あら、まぁかわいい〜!家におってくれるだけで幸せやな〜!」

このあたりは子供が多く、子育て世帯が多いので、おばちゃんが通りすがりの子連れのお母さんに話かけたんだと思いました。そのまましばらく話をしていたので、トイレ行くがてら窓から覗いてみると、なんと、赤ちゃんではなく、子犬を連れたおばちゃんでした。なるほど、確かにこのあたりは子育ても終わって退職している方々も多く、そういった方々が犬を飼っているんだと思いました。

僕はおばちゃんに連れられた犬を見ると、すぐに犬がほしくなってしまいます。イオンやホームセンターなどにペットコーナーがあると必ず行ってしまいます。家にころころ転がるもふもふがいると愛らしく感じられるでしょうし、もしかしたら、その小さな生命を養う責任などもほしいのかもしれません。帰宅すると懐に飛び込んでくる様子などをイメージすると、願望が絶頂に達しますが、高校生の時に買ったミドリガメの飼育を実家の母に託していることを思うと、やっぱりやめようとなります。

人間は神様にとって

神様にとって私達は聖書でどのように表現されているでしょうか。

  • イエス・キリストが罪を背負ってくださったので「罪なき者」として見てくださいます。
  • 天の父に対して、私達は「神の子」と書かれています。
  • イエス・キリストは、友なき者の友となってくださり、「神の友」と読んでくださいます。
  • 創造主なる神の「良い作品」とも書かれています。

旧約聖書より、ずっと聖書の神といえば、イスラエル民族だけの神でした。つまり、イスラエルの民族こそが神の選民であり、特別な祝福が与えられるのです。それがなぜ日本人である僕たちにも及んでいるかというと、神様はわけへだてをされないからです。

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
マタイ5:45

子犬

聖書のある箇所では、異邦人(イスラエル民族以外の民族)は子犬と呼ばれています。それは、家の中にいる主人が神様であり、その子どもたちがイスラエル民族です。イエス・キリストは異邦人の女性が救いを求めて来た時に、異邦人は子犬であり、食卓にあずかるのはイスラエル民族であることをおっしゃいました。しかし、その女性は子犬も食卓から落ちるパンくずは頂けると返答し、イエス・キリストから祝福をもらいました。

すると、女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。
マルコ7:28

そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。
マルコ 7:29

皆さんは、家の中の子犬と子供に差があると思いますか?イエス様がこうおっしゃったのは「なんだ、家の子供じゃなくて、子犬呼ばわりかよ。」という傲慢な心を僕たちが捨てて、へりくだって求めておられるからにほかなりません。

子供と同じように僕たちが愛らしく見ている子犬のように神様は僕たちを見ていてくださっているのです。野犬でもなく、猟犬でもなく、主人の家の中にいる愛されている存在、子犬として取り扱ってくださるのです。