0228_無人販売店が存続できる理由

無人の生餃子販売店

先日大阪の街を歩いている時に面白いお店を見つけました。生餃子を販売しているお店なのですが、店の中には店員はいません。今流行りの無人コンビニのように、ICタグやQRコードなどで購入できるものかと思いきや、思いっきりアナログで、1,000円/1パックを缶の中に入れるだけのシステムでした。

僕の実家のある田舎ではだいぶ昔から野菜が無人で販売されていました。採れたての野菜がずらっと無造作に並べてあって、買いたければ必要な金額を入れて持って帰れるようなものです。ただ、今回見かけたような人通りの多い町中、しかも、オフィス街ではなく、飲み屋や飲食店の多いエリアだったので、驚いてしまいました。

無人のサラダ販売店

東京でも同じような無人店舗があり、かなり注目されているようです。ここはサラダを専門で販売している店舗で、決済はパッケージに印刷されたQRをスマホで読み取りクレジットなどで行えるようでした。ただし、パッケージそのものにはICタグはついておらず、食後での決済も可能ですし、やろうと思えば、そのまま決済せずに食べ逃げすることだってできるのです。

人が多い時は、セルフレジにするとレジの待ち時間が長くなる。人が少ない時は、有人でレジをしてもらったほうが早い。そんな中でたどり着いたのが、食べ終わった後に決済するというものだったそうです。

 決済を後回しにすれば、レジ自体が不要になり、会計のために並ぶこともなくなる。「そもそもランチタイムに弁当を持って並ぶだけで5分、10分かかるなんて、すごくナンセンス。忙しく働いている方の大切な時間をそこに費やすのは、とんでもない経済損失だと思った」(宮野氏)

引用元:business.nikkei.com

性善説と性悪説

中国の友人に日本のこういった形態の販売方法を話すと、絶対中国ではあり得ないという話になります。中国にも無人の店舗はありますが、ICタグや監視カメラなどで盗めないように、あるいは、盗んでも特定できるようにコントロールされています。仮に先にあげた形態で販売しようものなら、店舗内のものは一瞬にしてなくなってしまうでしょう。こういった商法は性善説に立っており、人間には良心があるので、盗んでたべてしまうことはなく、対価を支払ってくれるという信用のもとに成り立っています。

じゃあ日本人にいい人が多いのか?といえば、そうではないと思います。相対的に格差が大きくなく、相対的に豊かであり、盗んでまで食べようと思う人がいないからだけだと思います。仮に格差が著しく広がり、天災や飢饉などで食べるにも困るような状況にでもなれば、こういった商法は成り立たなくなるでしょう。

つくづく、思うのは、人間は環境に守られているのであって、一度、その守ってくれている環境がなくなってしまえば、あっという間に落ちてしまう脆弱さを持っていると思います。僕が今人の物を盗んでまで食べようとしないのは、満ちたりているからであって、自分が盗人にならない保証なんてどこにもないと思います。

聖書は、人間には原罪があると明確に言っています。もし、自分が罪人のはずではないと思うなら、今与えられている環境がなくなった時に、「自分は罪人じゃない」という認識でいられるかどうか、想像力を働かせてみるのもいいかもしれません。

すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。 次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。
ローマ3:9-10