0891_王に仕える下僕として主を求める

Contents

祈る内容

以前は祈りの中で、自分自身の高ぶりを砕き神様の前にへりくだれますように祈ることが多かったです。実際に今年の上半期の各種イベントはへりくだりに関するレッスンが多かったと思います。一方、最近祈るようになったのはあなたの愛を教えてくださいということです。

僕はこの偉大な神様の御子をも惜しまないアガペーの愛を深いところで、あるいは次のステージのレベルで理解できているとは思っていません。もちろん、自分が救われた時に、神の大きな愛を体験した時に神の愛を明確に知りました。

神の愛

しかし、神の愛とは僕1人に対してのものではなく、全世界の人に対するものです。僕はまだその愛の大きさを深い意味で理解も体験もできていません。また、神の愛とは自分に親切にしてくれる人を愛するだけでなく、むしろ、自分に敵対するような自分が苦手と思うような人を愛するものです。

もし、本当に神様の愛を自分以外の人に伝えたいと本気で思うならば、この愛の広さと深さを知り、かつ体験しないといけないと思っています。それは決して義務からではありません。ただただ「イエス様をもっと深く知りたい」それだけなのです。

イエス様のことを知りたい

僕個人には決して神の愛はありません。神がともにいてくださるから神の愛を知るのです。神と深く交わるから神の愛を知るのです。そして、神の愛を知るから、その愛で神の愛を体現する事ができるようになると信じています。

「あなたの愛を教えてください」という祈りは、言い換えると「もっとイエス様のことを知りたい」ということです。そして、それは自分の都合のいいように知りたいというのではなくて、自分の都合のいい存在として知りたいのではなくて、自分だけの満たしが必要で知りたいというのでもありません。

どのような者として求めるのか

自分をつまらないしもべとして、神様に仕える者になりたいという前提でイエス様が知りたいと思うのです。これまでは本当に自分勝手に主を求めていました。本当に不純な理由で主を求めていました。自分の願いが叶えばもうイエス様はいらないというような態度で求めていました。

しかし、今は王に仕えるしもべとして主を知りたいと思うのです。

あなたのまことをもって、わたしを導き、
わたしを教えてください。
あなたはわが救の神です。
わたしはひねもすあなたを待ち望みます。
詩篇25:5

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)