0892_信仰継承に必要だと思うこと

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クリスチャンホームがいない

現在通っている教会の教団次世代への信仰継承ということが強く言われています。強く言われているというのは、信仰継承がうまくいっていないことの裏返しです。確かに今行っている教会のクリスチャンホームは見事にいないのです。おそらくいるはずのクリスチャンホームの90%くらいはいないのだろうと思います。

ある書籍では、子供を教会に連れてくること子供のわがままに妥協しないなどの方策が書かれていましたが、それは本当に基本中の基本だと思います。それができていない前提でこどもに信仰を継承できるはずがないと思います。

教会にこさせるだけで十分?

しかし、こどもに教会に連れてくる習慣を身に着けさせたとしても、正直それほど力はないと思います。なぜなら、自発的なものでない限り、こどもの成長にしたがって行かない選択を強くすることが多いからです。

教会に連れてくるよりももっと大切なことは日曜日以外の平日、両親がどのような信仰生活を送っているかだと思います。正直、それでこどもに信仰が芽生えるかが決すると思っています。

平日の両親の信仰

もし、両親が教会ではいい顔をしていても、家や隣人に対して不真実であったら、こどもはその一貫性のない役に立たない信仰を見抜きます。両親が家でどのような言葉を話しているかを子供はみています。もし、教会の兄弟姉妹の文句や職場の文句などを言っていたら、その信仰は役に立っていないと思うでしょう。

だから、僕が今絶賛子育て世代で子供の信仰が両親にかかっているのですが、まずは24時間すべてを通して一貫性のある生き方をするということです。そして、家庭を通して、愛、喜び、平安、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制の御霊の実を結ぶことです。それは両親の日常の信仰生活に適度な緊張感をもたらしてくれます。その責任と緊張感なしに信仰継承はできないと思っています。

主を求める心

そして次に大切なのは、こども自身が自発的に能動的に主体的に神を求めるようになることを祈り求め続けることです。聖書にはこのようにあります。
主を求める心を主がこどもに与えてくださるのです。

わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
彼らの心に書きつけよう。
こうして、わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となるであろう。
彼らは、それぞれ、その同胞に、
また、それぞれ、その兄弟に、
主を知れ、と言って教えることはなくなる。
なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、
彼らはことごとく、
わたしを知るようになるからである。
ヘブル8:10-11

このことを心に留めて、今日も明日も親として神の前に緊張感のある日々を送りつつ、子供のために祈ります。

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