0064_幽閉生活の中にある神の恵み

リモートワーク導入後、約3週間が経過しました。最初は動揺しましたが、試行錯誤しながら、適応するのを楽しむ段階がありました。そのあとは、幽閉生活に疲れが出始めていて、今ここです。

公私の切れ目がなくなる動揺から、通勤しなくて良いぶん自炊や読書に時間をたっぷり使えるメリットも実感しつつも、この巣ごもり生活がいつまで続くのかといった不安が出始めました。

もしかしたら、コロナ後、この労働スタイルが当たり前になるかもしれないので、適応はしないといけないですが、僕は完全にオフィス人間なので、出勤したいです。

自宅でも常時インターネットで繋がっているのですが、もっぱらアナログ人間なので、このような生活は生きている実感というか、明らかに五感が鈍っているような気がしています。

社会から孤立しているような感覚もあります。後日、今の生活を思い出した時には、自分の人生の時間から切り取られて、別の時間として存在しそうな、そんな感覚です。

メンタルがやられると、想像力が欠如して、業務の潤滑油が失われてしまいます。そうなると、少しのことでイライラしてしまったりしてしまします。

幽閉生活で自分が日常の引力にやられているなと感じたら、聖書を読んで、イエス・キリストの名によって祈ります。

イエス・キリストが今も生きているという信仰があり、彼は共にいてくださるお方です。キリストの恵みが共あると、恵みフィルターを通して、すべてを見ることができるようになります。

今生きていること、働けることが感謝ですし、上司、同僚一人ひとりのために祈れる恵みにも気づきます。また、家族や大切な人、友人などのためにも祈る恵みに気づきます。恵みフィルターを通して見ると、日常のあちらこちらに恵みがあることに気づきます。

ちょうど、ポケモンGOのアプリ起動して、町中をカメラで写すと、リアルにはいないポケモンがスマホの画面には存在しています。キリストの恵みフィルターで見ると、日常のあちこちに恵みがあります。

イエス・キリストの救いは恵みです。彼が共にいてくださることで、すべては恵みに変わります。使徒パウロは自分の偉大な宣教活動をこのように言っています。

しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。
コリントⅠ15:10(口語訳)

幽閉生活の中にあっても、わたしと共にあった神の恵みが支えてくださいます。