1527_声に出して読みたい聖書の御言

イザヤ54章

今日は最近励まされた御言を紹介しようと思います。この御言を音読する時に魂は平安にあり、主への喜びで満ち溢れます。

「このことはわたしにはノアの時のようだ。
わたしはノアの洪水を、
再び地にあふれさせないと誓ったが、
そのように、わたしは再びあなたを怒らない、
再びあなたを責めないと誓った。
山は移り、丘は動いても、
わがいつくしみはあなたから移ることなく、
平安を与えるわが契約は動くことがない」と
あなたをあわれまれる主は言われる。
イザヤ54:9-10

試練の中を通る時、人は自然と因果を見つけようとします。原因を探そうとするのです。それは人の自然な行動です。そして往々にして自分に責任を求めて自分を責めようとしてしまいます。しかし、それは間違った行為です。それは理解するために無理やり責任を自分に見出しているにすぎません。しかし、聖書を見れば永遠に変わらない契約が書かれています。

哀歌3章

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。
それゆえ、わたしは望みをいだく。
主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、
あなたの真実は大きい。
わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、
それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。
主はおのれを待ち望む者と、
おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。
主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。
哀歌3:21-26

僕には時々刻々、主が必要です。1分たりとも主なしでは存在することはできません。主のいつくしみと憐れみは朝ごとに新しいため僕は主を今日も求めます。主はたずね求める者、待ち望む者に対してまことに恵み深いお方です。

ローマ5章

そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
ローマ5:5

僕の希望が失望に終わることがないのは道が開けるからでも成功するからでも繁栄するからでもありません。ただ神の愛が僕の心に注がれているからです。聖霊は神の愛を僕に十二分に与えてくださいます。

今日も主を褒め称えます。そして、主に全力で感謝を捧げ賛美します。

わたしは生きるかぎり、主にむかって歌い、ながらえる間はわが神をほめ歌おう。 どうか、わたしの思いが主に喜ばれるように。わたしは主によって喜ぶ。
詩篇 104:33-34

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