1569_礼拝者として共に主の前に立つことができる嫁さんの存在

順風満帆で大声で「ハレルヤ!」

僕はこのブログで「主と共に歩み続けること」を謳っています。しかし、いつも順風満帆で大声で「ハレルヤ!」と叫びたいというような状況ばかりではありません。僕は時に「聖書を読みたくない」と思ってしまうことがあります。うまく言葉にできませんが、以前も書いたように主と少し距離を置きたいと思うことがあるのです。

1543_もう入ってこないでそっとしておいてほしい
しかし、感謝なことに聖書を読まないといけない仕組みが組み込まれています。それは嫁さんとこのような話をしていたからです。「おなかの中にいる赤ちゃんは生まれてきてもすぐに死ぬかもしれない。そうなると聖書を読むこともできないし、祈ることもできないし、賛美することもできない。だから、おなかの中にいる間にそれができるようにしよう」と。

共に主の前に立つ

夫婦テーブルに向き合って座り1章ずつ交互に聖書を音読します。おなかの中にいる赤ちゃんに語りかけるように音読します。そうすると、その場に4人いるような気になってくるのです。イエス様、赤ちゃん、嫁さんと僕です。

聖書の言葉を音読すると、嫌でも元気になってきます。それは霊が活性化されてくるからです。霊が活性化するとさっきまでは聖書読みたくないなと思っていた肉が弱まってくるのです。僕はこの仕組みのおかげで守られているというよりも、礼拝者として共に主の前に立つことができる嫁さんの存在に感謝しました。

走り続ける

そして、聖書を読んだあと賛美をします。3人で主を褒め称え、それから祈ります。確かに状況を見れば、下を向きたくなります。しかし、このように夫婦が心を合わせて御言を読み賛美し祈る中で、この御言のとおりに走り続けることができるのだと思いました。

ヘブル人への手紙 12:2
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

主は生きておられる

自分に対して宣言します。

「見えるところ、状況を見て右往左往するな。主だけを仰ぎ見よ。主は我が助け、我が岩、我が救い。」

サムエル記下 22:47
主は生きておられる。わが岩はほむべきかな。わが神、わが救の岩はあがむべきかな。

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