200年とか300年という単位
最近、またレイ・ダリオの「巨大債務危機を理解する」を読んでいます。これを読むと、わずか過去30年を見てこれからの未来を予測することがいかに馬鹿げたことであるかがわかります。歴史には確かにビッグサイクルがあり、200年とか300年という単位で動いています。
その中で人は少し過去と自身のわずかの経験から判断して未来を予測します。そして予測を大きく外す羽目になるのです。
過去の金融危機
たとえば、過去の金融危機、たとえば1929年の世界大恐慌を見ると株価は数年単位で下がり続けています。どーんと下がって「割安!」と言わんばかりに買いが入り少しあがります。しかし、またさらにどーんと下がって「これはもうだめだ」となっても、何かいいニュースが入るとまた少し上がります。それを繰り返しながら数年かけて株価が下がっていくのです。
今はどうでしょうか?米国の株価の指標であるS&Pは過去数十年上がり続けたからこれからも上がり続けると言われています。しかし、歴史はそうではないと言っています。明確なのは金利が下がり続けていた状態では株価は上がり続けたとう因果関係とも言われています。
そこまでの底を想定していなかった
僕は今日ここで株とか金融の話をしたいわけではありません。ここ数か月の自信の状態のことを語っています。それは以前もブログに書きましたが自身が想定していた下限を大幅に超えて霊的に墜ちるということがあるということを知ったのです。自分では落ちきったと思ったとしてもそれは2番底で、まだ一番底がまっているかもしれないということです。
僕はこれまでの信仰におけるリスクマネジメントで、そこまでの底を想定していませんでした。下限の閾値で止まり回復することが数年続いていたからです。しかし、人生に起こってくる出来事は、人を簡単に底に突き落とす可能性があると知ったのです。
信仰生活のリスクマネジメント
これは僕にとって大きな教訓となりました。なぜなら、そうことも起こり得るということを前提に信仰生活のリスクマネジメントができるからです。これまで自分がはっていたセーフティーネットでは対応しきれないということを知ったのです。
それは、自分の信仰に対する意識を大きく変えることになりました。簡単に言えば主により頼むという使い古された言葉の重みやレベルが数段階上がったということです。僕は主なしでは生きることができません。なぜなら、主は必ず2番底、1番底から僕を救いあげてくださるからです。主を褒め称えます。
詩篇 40:2
主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。