1671_スマホ中毒から逃れる方法

体が動かないこと

昨日は、自制心うんぬんゆっている自分がスマホをやめられないということを書きました。色々な本を読んで理性によって制御しようと思いましたがうまくいっていません。それもそのはずです。人間は理性で動くものではなく、感情で動くものだからです。

たとえば、本などで運動や健康的な食事は体にいいと頭ではわかっていても、それを行動に移すかどうかは別の話です。むしろ、ほとんど体が動かないことのほうが多いでしょう。しかし、たとえば、定期健康診断などでD判定とかなると火が付くのです。それは病気になるという恐怖に体がよって動くからです。

想像力を駆使して感情で自分を制御

だから、一つの有効な方法としては想像力を駆使して感情で自分を制御するという方法です。このままスマホ中毒の状態が続けば自分はどうなるのか?どのような人生になるのか?果たしてそれは自分が望んでいる人生なのか?と自問し未来を想像することで感情が動くようになります。

しかし、感情にも欠点があります。それは「続かない」ということです。瞬間風速的、垂直立ち上げ的には有効なのですが、いかんせん、その温度が高く維持されることはありません。むしろ、忘却曲線のようにものすごいスピードでやる気が低減していくのです。

言葉と心が一致していない

そのため、高度な想像によって感情で自分を動かすことを継続させる工夫が必要になります。それができる人は習慣化できる人であり、自制の人だと思います。しかし、僕は全く自制心がない人間なのでできそうにありません。そのため、僕はやっぱり主により頼むしかないと思っています。

それは、「僕は自分ではスマホ利用がやめられません。主よ。やめられるように助けてください。」という祈りです。しかし、このブログでは何度も書いていますが、もし、僕が本気でやめようと思っていないなら、その祈りは空しく響くだけです。なぜなら、言葉と心が一致していないからです。

悔い改めます

結局、クリスチャンがどうしようもなくなった時の解決方法はいつも同じだと思います。それは、主との深い交わりに入るということです。なぜんら、主との深い交わりの中で、人間の欲は無力化され、霊が活性化するからです。霊が活性化すれば、この世の肉の欲、目の欲、持ち物の誇りをどうでもいいと思うようになります。

僕は今、毎日祈っているようで、祈れていないのだと思います。主と交わりたいと思っていると思い込んでいるだけで実際は自分のやりたいことをしたいと思っているのだと思います。悔い改めます。

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