教会が祝福されなくなる原因の一つ
教会が祝福されなくなる原因の一つに兄弟姉妹間や信徒牧師間にある軋轢があると思います。祝福されている教会はもれなく兄弟姉妹が愛し合っています。また牧師批判などをしません。なぜなら、愛するということは聖書における最上位にある命令だからです。
聖書はまず神様を愛することを教えています。
心をつくし、思いをつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神である主を愛せよ。
マルコの福音書 12章30節
その次に、愛し合うことを教えています。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書 13章34節
このように神様を愛することと愛し合うことは最も重要な教えです。
神様は愛するけれどあの人は愛さない
文字で書けば非常に明快にもかかわらず、クリスチャンは互いに愛し合うことを疎かにしてしまう場合があります。ある人は神様は愛するけれどあの人は愛さないという選択をするかもしれません。
「いやいや、私は神も兄弟姉妹も愛している。」と思っていても、それはそう思っているだけで意外に愛せていない場合があります。僕はそういったパターンが多かったです。
行動では受け入れることができていない
僕自身には、たとえ自分はあの人を受け入れている、愛していると思っていたとしても、それは理性でそう思い込もうとしているだけであって行動では受け入れることができていないと思うことが多くありました。
人は合理的な一面があるので「愛さなくていい、受け入れなくてもいい」理由を探すのが得意です。あの人は自分にこんなことをしたからとかあの人はああいう考えがだめだからと実質人を裁くことによって、そうする必要はないと判断してしまうのです。
無意識のうちに裁くことを発動してしまっている
これは非常に恐ろしいことです。なぜなら、ほとんど無意識のうちに裁くことを発動してしまっているからです。しかし、冒頭でも書いたようにそのような生き方は神様の祝福を受けることはできません。むしろ、神様が最も嫌われる生き方でもあるからです。
聖書にはこのようにあります。
神を愛していると言いながら兄弟を憎む者があれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者は、目に見えない神を愛することができないのです。
ヨハネの第一の手紙 4章20節
今日は神様の前にこのように祈りたいです。
「主よ。どうか私の心のうちを探ってください。そして自分が心から愛せていない人がいるのであれば、それを示し、悔い改めに導いてください。」