1670_スマホは単純に楽しいからやめられない

スマホ利用を制御

昨日は自制心について書きました。自制心はある状況下では有効ですが、ある状況下では無力であると書きました。また、そもそも自身には自制心がないことを認めて習慣化によって自制する必要がなくなる仕組みを生活に導入する方法について書きました。特にクリスチャンは主に降参するという特権があるので主の助けや介入を求めることもできると書きました。

今日は、僕が非常に苦戦していることについて書こうと思います。それはスマホについてです。僕はこれまで何度もスマホ利用を制御したいと思ってきました。しかし、未だに実現できていません。

取り組んだこと

取り組みとして、まず理性的側面から自分を制御することを試みました。たとえば、アンデシュ・ハンセン氏著の「スマホ脳」やアンナ・レンブケ氏著の「ドーパミン中毒」などを読み科学的になぜ夢中になるのか、なぜやめられないのかを理解しました。理解して行動に落とし込むために何度も読みました。さらに別側面から岩内章太郎氏著の「哲学的側面から〈私〉を取り戻す哲学」なども読みました。

なぜ中毒になるのか?脳では何が起こっているのか?さらには、社会学的側面からSNSや他者との関係から自分の心の中で何が起こっているのかを理解しました。が、しかし、未だに「わかっちゃいるけど、やめられない」状態なのです。

単純に楽しい

やめられない理由(言い訳)はいくつかあります。まず、もっともらしい言い訳を書きます。それは、スマホが私生活と仕事の境界線をあいまいにしているからです。ようは家に帰ったら、スマホを箱の中に入れて触らないという状況にできないのです。何か緊急の連絡が入ったら対応しないといけないからです。

次に、本音を書きます。それは、スマホが単純に楽しいからです。自分の知りたいこと、見たいことを即座に与えてくれるからです。様々な欲求がある中でスマホは多くの欲求を満たしてくれるのです。自分に対して厳しいことを書けばそれらは非聖書的です。なぜならそれらは多くの場合、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りに繋がるからです。

ヨハネの第一の手紙 2:16
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。

簡単に欲を満たしてくれるツール

スマホは便利な側面を無視すれば、簡単に欲を満たしてくれるツールです。欲を簡単に満たすようになったら人間ばどうなるのか?僕はその実験の真っただ中にいます。まだ具体的な方策は見つかりませんが、もし、みなさんでいい方法や実践していることがあれば教えて頂けると幸いです。

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