0720_人間関係における負荷テストで合格できるか?

製品の負荷テスト

あらゆる製品は品質を担保するために様々な負荷テストがなされます。例えば、数万回落としても壊れないとか、±80度までの環境でも壊れないとか、多くの指標によってテストされそれに合格した時にはじめて世に送り出されます。実際の利用シーンとはだいぶかけ離れている負荷テストもあると思いますが、実際の利用シーンよりも厳しいテストに合格する必要があるのです。

それと同じように人間も負荷がかかった時にその人の信頼性がわかります。言い換えれば、価値観や考えや信念がぶれない人か、一貫性があるかどうかがわかるのです。

情報による負荷テスト

日常的に誰にでも訪れる負荷テストは、様々な情報に触れた時だと思います。例えば、人の感情をあおるようなニュースを目にした時や聞いた時に心が揺れないかどうかです。トラフィックを生み出すには人の感情に訴えるのが手っ取りばやいです。たとえ、炎上、暴露、陰謀論系のコンテンツに触れたとしても心がゆれない、言い換えれば、そっちももっていかれない強さがあるかどうか試されます。

また、この世界にはイナゴになる人をいざなう情報で溢れています。つまり、養分になる金になる人です。うまい話や商法を聞いても騙されない。あるいは、必ずしも再現性の高くない小手先のテックニックに高い金を出さない強さが必要になります。

普段は騙されないと思っていたとしても、先行き不透明、不安、恐れ、老後2000万問題など足元を見られると藁にもすがる思いにもなったりするものです。その時に自分がもっている原理原則に従って行動できるかが試されます。

人間関係による負荷テスト

次のテストは「人間関係」において試されるものです。おそらく、より多くの、より複雑な人間関係の中で信頼されている人こそがあらゆる負荷テストに合格している人だと思っています。ある負荷テストは職場で試されるでしょうし、ある負荷テストは家庭で試されるでしょう。どれだけ「誰に対しても寛容」とか「人に親切」とか「感謝」と思っていても、人間関係において負荷がかかった時にそれができなければ意味はないのです。

僕自身は、この人間関係の負荷テストに非常に弱いです。すぐにイライラしたり、感情的になってしまったりするのです。どれだけ、聖く、正しく、信心深く、慎み深く、気高い生き方をしたいと願っていたとしても、自分の心に起こる反応はそれとはかけ離れたものだからです。

負荷テストの意味

しかし、負荷テストによって自分の弱さが明らかになることは必ずしも悪いことじゃありません。その弱さを知ることによって、よりいっそう自分に死んで、神により頼む必要性の深さが痛感させられるからです。

もし、天国に行ってしまったら、何の負荷テストもありません。今この地上での生活での負荷テストで神と共に生きることを学び、そして製品が世に送り出されるように、本来の故郷である天国に送りだされるのだと思います。

おっさん
■負荷テストで弱さが明らかになってもあきらめない

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