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イエス様との出会い
37年間の人生で、僕自身を大きく変容させる出来事がいくつかありました。例えば、イエス・キリストの出会いによって最も大きい変容が起きました。180度生き方が変わる。パラダイムシフトが起こる。方向転換といいった経験でした。
その大きな変容を土台に、継続的に変容が起こり続けています。比較的大きな変容は、社会人になった時、教会が変わった時、結婚した時に起こりました。
社会人になった時
まず、社会人になった時です。言わずもがな小学生の時から社会不適合者だったので、社会に適合するために非常な努力を要しました。いわゆる、常識、当たり前、社会人としての教養、態度などが一切ない状態だったので、かなり苦戦しました。上司に罵声を飛ばして頂きながら、かなり矯正していただいたと思っています。
今でもまだ不適合者的な要素は残っていますが、なんとか、許容範囲内の下限ギリギリくらいまではもってくることができていると思っています。
教会が変わった時
次は教会が変わった時です。母教会は僕が0歳の頃から通っていたところでした。そこには愛に満ちた兄弟姉妹が多く、比較的甘やかされて育てられたので、僕の信仰生活は教会をウチとして捉えるようなものになっていました。ようは、なーなー、うちうち、慣れ合いのような状態です。完全に甘えの精神なのです。
しかし、そこから一歩外に出ると、甘えられるような環境はなく、一人の大人としてのクリスチャンとしての言動が求められます。この適度な緊張感は僕の信仰に大きな影響を与えてくれました。全く人間関係もゼロの状態から教会や兄弟姉妹に仕えることはとても新鮮でした。そのことを通して、30代前半にしてようやく一人の自立したクリスチャンになれたのかもしれません。
結婚した時
最後は結婚した時です。結婚とは、「これまで自分のために生きていたのを奥さんのために生きること」です。夫たるものはキリストが教会を愛したように妻を愛さないといけません。それが聖書の教えです。それはつまり、妻のために死ねと言っているようなものです。
僕にとって神中心を土台としてこれまで自分中心でやってきたところの軸を奥さん中心に置き換えるの大変な作業でした。奥さんにもいろいろ言われたりしながらも、今でも全く奥さんのために死んでいるような状態ではないですが、少しづつ、時間の使い方や考え方が変わってきています。(奥さんは全然変わってないと言うかもしれません…)
これは僕にとって大きなパラダイムシフトでした。その軸を移し替える作業によって、神中心とはどういったものなのかもわかってきたからです。実は神中心になんか生きていないことが奥さんとの関係の中でわかってきたのです。
これから、まだまだ大きな変容があると思います。自分に死ぬことを厭わず、陶器士なる神様にゆだねます。