1132_人には「アタッチメント」が必要

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「アタッチメント」という言葉

最近、「アタッチメント」という言葉が注目されているようです。この言葉は最近できたものではなくて教育心理学などでは古くから言われていたものでした。アタッチメントとは愛着とも言われますが、誰かとの心理的な結びつきのことです。

例えば、赤ちゃんは親とのアタッチメントを持っています。赤ちゃんは親がそばにいる時に安心を覚えます。そして安心しているからこそ、自由に遊ぶことができます。もし、急に親から離れることになった場合はアタッチメントを失ってしまい安心感もなくなってしまうのです。

探索するには安心が必要

人間には心理的なつながりが必要で、それが人生に安心や安全感を与えます。それは親子の関係だけではなくて友人や恋人や先生や同僚なども当てはまります。様々な人と繋がりながら人はようやくその人らしく生きていけるのです。

その人らしく生きるには必ず安心感、安全感が必要です。なぜなら、人は安心安全が確保されている時に初めて物事に挑戦したり、冒険をしたりすることができるからです。

ある実験でこのようなものがありました。親と赤ちゃんが一つの部屋に入ります。最初は赤ちゃんは親がいので安心して遊びますが、親が部屋から出て行ってしまうと不安を感じ泣き出すのです。しかし、親が帰ってくるとまた遊び始めます。この遊ぶことを「探索」と言います。つまり、人は安心感が確保されている時に、はじめて探索をすることができるのです。

大きな安心感

確かにこれまでの自分の人生を顧みた時にも同じであったと思いました。僕がわずか3年で会社を辞めて日本のレールから外れて中国に行けた時僕の心の中には、根拠のない安心感があったのです。それは帰ってこれる日本という場所があるということも含まれるかもしれません。また両親がいるからということもあったかもしれません。

しかし、僕はそれだけのつながりだけで、中国に行くという決断はできていなかったと思います。それよりももっと大きな安心感があったのです。それは神様とのつながりです。

避難所、安全な基地

このお方が導いてくださっているから絶対大丈夫!このお方の大きな手の中に僕は握られているから絶対大丈夫!という確信があったのだと思います。この過酷な人生において、人には必ず心の避難所が必要です。また心の安全な基地が必要です。

それは聖書が言っているように、人ではなくて神様ご自身なのです。

神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。
人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、
あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。
あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。
いのちの泉はあなたのもとにあり、
われらはあなたの光によって光を見る。
詩編36:7-9

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