1139_心に感謝が満ち溢れているのはいいことがあったからに過ぎない

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真実ないのりとは?

先日祈っていて自分の祈りが真実かどうかはわからないと思うことがありました。例えば、祈りにおいて心の底から「主を感謝します。あなたの御名を心よりほめたたえます。あなたを愛します。」と思っていても、実は今日はたまたま気分がいいからそのような祈りが出てきているのではないか?と思ったのです。

例えば、何かいいことがあったから、あるいは天気がいいからとか、そういった外的な環境によって左右されて気分がよくて、そのような祈りが心から出てきているのであれば、それは真実ではないと思ったのです。

時が悪い時

例えば、朝から嫁さんと喧嘩したり、お客さんに怒られたり、大変な仕事を無茶振りで振られた時に、心の底から「主を感謝します。あなたの御名を心よりほめたたえます。あなたを愛します。」という祈りが心から出てくるのだろうかと思ったのです。

たとえどのような状況においてもこのような祈りが出てくる人は信仰の人だと思います。なぜなら、自分の気分や天気などの環境や状況にも左右されずに、ぶれずに主にいつも感謝しほめたたえられているからです。

時が悪い時にわかる信仰

これらは商品開発時に行われる負荷テストと同じです。負荷を与えない時に商品が壊れないのは当たり前です。しかし、高温度にさらし、その商品が耐えられた時に初めてその商品は世に送りだされるのです。

つまり、クリスチャンの信仰も状況が悪くなった時の反応によって信仰のいかんがわかるということです。

そう思った時に、自分の調子がいい時に感謝の言葉が出てくることは当然だと思いました。聖書でも自分を愛してくれる人を愛するのは誰でもできると書いています。むしろ、自分に敵対する人を愛せる人こそ信仰の人であると言っています。

時が良くても

こんなひねくれた考えをもって祈る人はほとんどいないかもしれませんが、僕は真実な祈りではないと思い、その日はこのように祈りました。

「僕が今日あなたに対して感謝したり、賛美したりできるのは、自分の調子がいいからかもしれません。気分がいいから天気がいいからいいことがあったからこのような心で入れているのかもしれません。しかし、それであっても、今のあなたを愛しているこの気持ちに偽りは少しもありません。」

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