初めての違和感
僕はこれまでどちらかと言えば、このブログの副題にあるとおり豊かな生き方とか何なのか?という側面に注力して生きてきました。イエス・キリストを信じる信仰によって生きることとは具体的にどういうことなのだろうか?また、その信仰を実生活に落とし込むためにはどうすればいいのか?ということを考えて生きてきました。
ですので、経済や金融などに関しては興味がなくこれまでまともに勉強することもありませんでした。いわゆる、アベノミクスや黒田日銀総裁による異次元緩和、マイナス金利政策などは聞いたことがあるだけでその内容に関しては全く関心を払っていませんでした。
しかし、2015年に初めて違和感を感じました。それは日銀が当初2年で賃金上昇を伴う2%の物価上昇が達成できずに異次元緩和を粘り強く続けている様子を見て素人ながらこれは大丈夫なのか?と思ったことです。とりわけ、国債を大量購入するだけでなく世界各国の中央銀行すらしたことがなかったETF(上場投資信託)の買い入れをして日本の株価を買い支えるということも知って強い違和感を感じました。
次の違和感は
次の違和感はコロナ以降の大幅な財政支出が起こった時に感じました。それは補助金によるバラマキを仕事をする中でたくさん見てきたからです。当時は経済の下支えのために様々な補助金が出されました。IT業界ではIT導入補助金とか持続化給付金とか事業再構築補助金とかがありました。
多くの業者が補助金目当てでとんでもなくしょうもないITツール導入を推進して補助金をもらっていました。また見せかけだけのきれいな資料だけで何千万円という補助金をもらっているのも見ました。
本来、借り入れや補助金は新しい価値を生み出したり、生産性を向上したり、イノベーションを起こす起業家精神にあふれた企業に分配されることで長期的に経済に良い循環を生み出していくものです。しかし、僕が見る限りでは、補助金目当てで新しい価値も生まず、生産性も向上しない企業にばらまいているようにしか見えなかったのです。それでは、新陳代謝が起きずにゾンビ企業が増えるだけになります。
自国通貨の借金はいくらしても問題がない!?
確かに不況が起こった場合、政府が積極的に財政支出をして経済の下支えをするのは間違っていないことです。財政支出のためには国が国債を発行して債務を負ってまでする必要があります。こうした国の借金に関して、リフレ派の人たちは、自国通貨の借金はいくらしても問題がないと考えます。過去にアルゼンチンやギリシャは債務不履行に陥りましたが、あれは自国通貨ではなくドルやユーロに対して借金をしてしまったのでデフォルトに陥ったと言います。
しかし、レイ・ダリオが言っています。「誰かの借金は誰かの資産」です。普通に考えたら借金を返さなくてもいいというのは直感的な感覚からもおかしいと思います。僕はずっとこの違和感を持っていました。本当に自国通貨の借金はいくらしても問題がないのか?
今、アメリカも日本も巨額の政府債務が積まれていますが、このまま自国通貨建てであったとしても借金が増え続けることがいいことだとは思いません。
自分にできることとは?
じゃあ、僕個人はこのような状況に置かれて何をすべきなのでしょうか?オーストリア学派は起業家の創造精神(イノベーション)が経済成長に必要だと言います。しかし、僕にとってはそれは難しいことのように思えます。
僕が唯一今すぐ実践できることは生産性の向上だけです。仕事、家庭、教会、地域において自身の生産性を上げ続けることがこの日本の経済に置かれた状況に対して自分ができることです。今は衆院選挙の真っ最中ですが、もうバラマキはやめてほしいです。必要な人たちに必要な分配があればそれでいいです。それよりも自分ができることに注力していきたいと思います。