1866_奉仕で油注がれている時の自分は本当の自分じゃない | 本当の姿は平日に現れる
人の前に立つ奉仕 人の前に立つ奉仕をする中で気づいたことがあります。それは奉仕をしている時の自分が本当の姿ではないということです。たとえば、賛美の司会とかCSや小グループでの説教などをする場合、非常に恵まれることがありま…
キリスト教信仰
人の前に立つ奉仕 人の前に立つ奉仕をする中で気づいたことがあります。それは奉仕をしている時の自分が本当の姿ではないということです。たとえば、賛美の司会とかCSや小グループでの説教などをする場合、非常に恵まれることがありま…
キリスト教信仰
魔がさした!? 昨日に続き「徹底して信じる」ということについて書きたいと思います。もし徹底して信じる覚悟があるなら、一切の妥協はしないほうがいいと連日書いてきました。 https://jesus.tokyo/faith/…
キリスト教信仰
夫婦が同じ思い 昨日は信仰上子供に参加させたくない幼稚園のイベントには参加させていないということを書きました。 https://jesus.tokyo/faith/1863_choosing-not-to-let-my-…
キリスト教信仰
参加できないイベント 今年の4月から子供は幼稚園に行っています。幼稚園はキリスト教系ではないため入園前に園長先生に参加できないイベントなどは事前に話をしていました。園長先生も理解のある方でこの園を選んでよかったと思ってい…
キリスト教信仰
1時間祈る時間 今日も祈りについて書きます。 https://jesus.tokyo/faith/1861_praying-silently-amidst-the-tranquility-of-nature-time-s…
キリスト教信仰
声に出さない祈り 昨日は祈りほどクリスチャンによって理解が異なるものはないと書きました。 https://jesus.tokyo/faith/1860_the-amount-of-time-christians-spen…
キリスト教信仰
声に出して祈る 「祈り」ほどクリスチャンによって捉え方に差があるものはないのではないでしょうか?賛美であればジャンルや形式を問わなければ、立ち、あるいは座って主に向かって奏楽に合わせて声を出して歌うということに大きな違い…
キリスト教信仰
時代が人を形づくる 「時代が人を形づくる」というのは、まさにその通りだと思います。たとえば、明治や昭和初期の時代は日本において大転換の時でした。そのような時には時代を切り開く稀有な人材が多く登場し歴史を作ってきました。簡…
キリスト教信仰
祈りとは? 先日から祈りの生活のことを書いています。人によって祈りの生活と言ってもイメージされるものは様々だと思います。そもそも祈り自体のイメージすらも違うことがあると思います。ある人の祈りは願い事を伝えるだけが祈りだと…
キリスト教信仰
祈りの生活をしたい 先日からイグナチオ・デ・ロヨラの著書である「霊操」を読んでいます。彼は日本の小学校の歴史の教科書にも登場するあのイエズス会の創立者の1人であり、初代総長を務めた人物でもあります。なので、カトリックの人…
キリスト教信仰
謙遜はやろうと思ってできるものではない 聖書にはクリスチャンがどう生きるべきかが記載されています。その最たるものが第一に神を愛すること、次に自分を愛するように隣人を愛することです。その他、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自…
キリスト教信仰
これではだめだ 昨日はなぜ祈りを習慣化するのが難しいのか?ということについて書きました。色々な理由は確かにあるのですが、霊の領域において最大のものは悪の勢力、サタンがそれを全力で阻止しようとするからと書きました。ですので…
キリスト教信仰
長期間継続しない 最近、ようやく自身の祈りの神殿が再建されつつあるのを感じてます。といっても僕の祈りの神殿は情けないながら、これまで再建されては崩れてを繰り返してきています。このブログの読者であれば僕が教会のサマーキャン…
キリスト教信仰
キリスト教の停滞 なぜ日本のキリスト教は停滞しているのでしょうか。霊的なブレイクスルーがされていないからでしょうか。信仰が足りないからでしょうか。神道が日本のいたるところに浸透しているからでしょうか。戦後、高度経済成長を…
キリスト教信仰
人を裁くな 聖書では明確に人を裁くなと教えられています。 マタイによる福音書 7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 しかし、キリスト教内で…
キリスト教信仰
弟子たちの書簡 昨日はワンネスというキリストの教義に関して書きました。イエスの名によるバプテスマの方法に関しては聖書に4か所も記述が確かにあるので誰も否定できないと思います。しかし、僕はわざわざそれをワンネスという神観に…
キリスト教信仰
イエスの名によるバプテスマ キリスト教には「ワンネス」という教義があります。それは天の父もイエス様、聖霊もイエス様という立場の教義です。その理由として使徒行伝で弟子たちは父と子と聖霊の名によってバプテスマを施していないか…
キリスト教信仰
われは聖霊を信ず 連日、天の父と御子イエス様のことについて書いてきました。そして最後に聖霊について書こうと思います。 https://jesus.tokyo/faith/1839_reflections-on-the-h…
キリスト教信仰
ヒューマニズム 連日、僕は父としての自分、また子としての自分、さらに自分の子供の視点から、天の父とイエス様に思いを馳せることをしてきました。 https://jesus.tokyo/faith/1839_reflecti…
キリスト教信仰
僕の神観 昨日は、自分が父になったことで、天の父の思いに思いを馳せることが多くなったということを書きました。 https://jesus.tokyo/faith/1839_reflections-on-the-heave…