1567_「青年の信仰」は「幼子の信仰」へと回帰する
「青年の信仰」で終わらない 連日、信仰の成長について書きました。僕が書いたのはクリスチャンホームの場合の信仰です。彼ら彼女らの場合は「幼子の信仰」から「青年の信仰」へと成長していきます。その中で大切なのはイエス様との個人…
「青年の信仰」で終わらない 連日、信仰の成長について書きました。僕が書いたのはクリスチャンホームの場合の信仰です。彼ら彼女らの場合は「幼子の信仰」から「青年の信仰」へと成長していきます。その中で大切なのはイエス様との個人…
宗教生活 昨日は子どもは「幼子の信仰」から「青年の信仰」へと成長するということを書きました。そして、青年の信仰で必要とされるのは自由意志とも書きました。なぜなら、自分で選択するという体験をしないことには信仰は成長しないと…
信じるということ 僕は小さい頃、自身がクリスチャンホームで育っていながらも「信じる」ということが実際どういうことなのかよくわからずにいました。それは、神様の存在が身近であり、目に見えないものを信じるのが当然の環境で育った…
正常に育っていない 試練の中で教えられたことを書こうと思います。5月上旬におなかの中にいる赤ちゃんが正常に育っていないことがわかりました。どうも尿道が閉塞しており、膀胱におしっこが溜まっているようだったのです。その結果、…
自分が平安になりたい 一昨日、昨日に引き続き、自身が置かれている試練に関して書きます。この試練が自身に降りかかってきた時、祈っていた時に主が語ってくださったことがありました。それはこのようなものです。 「わたしと苦しみを…
お通夜のような気持ち 昨日に続けて自身の置かれている試練について書きます。今お腹の中にいるこどもは生まれたと同時に亡くなる可能性が高いと言われています。そのような状況の中で日常生活は変わらず過ぎ去っていきますが、毎日嫁さ…
主のなされること ここ数か月、自身が試練の中にいるということを書いてきましたが、詳細については書いてきませんでした。それは事後的に書きたかったからです。現在進行中の過程段階で書くよりも主のなされることはすべてその時にかな…
そう思っていると思っているだけ 自分がそう思っていると思っていても実際は全く思っていないということがあると思います。たとえば、僕は霊においてはひどく肉を嫌悪していると思っていますが、実際は実はそうではないということを知る…
この世にあっては悩みがある クリスチャンとして、こんなことを書くと怒られそうですが、僕は時々今すぐにでも天国に行きたいと思うことがあります。その理由の一つとしては、この世にあっては悩みがあるからです。歳を取るにつれて自分…
イエス様がいてくださっている 今、我が家は比較的大きな問題の中にいます。しかし、その中でも「幸いだ。感謝だ。」と思えることが少なくありません。それはひとえに今も生きておられるイエス様が共にいてくださるからです。しかし、そ…
Webアプリケーション 細々とWebアプリケーションを作っています。今回は開発した「聖書通読アプリ」を紹介したいとおもいます。聖書通読アプリと言えばYouVersionが有名だと思います。僕も通勤の時に活用させて頂いてい…
思っていませんでした 僕はこれまでずっと「主を愛して、いつも主と共に生きたい」とは思っていませんでした。むしろ主と共にも生きたいけど、自分の好きなようにも生きたいと思っていました。ある時は主と共に生きたいけど、ある時は生…
霊的な戦い 最近、自身が常に霊的な戦いの中にいると思わされています。霊的な戦いといっても、別に「悪霊をうせよ!」とか「霊的な鎖から今すぐ解き放たれよ!」とかいうようなものではありません。 ただ、二つの声のどちらに聞き従う…
不信仰の心 正直に話すと僕の心の中には不信仰の心が湧き上がってくることがあります。こんなことを書くと「お前はそれでもクリスチャンか!」と言われそうですが、実際にそうなのです。なぜなら、僕は霊によって生きていると同時にこの…
200年とか300年という単位 最近、またレイ・ダリオの「巨大債務危機を理解する」を読んでいます。これを読むと、わずか過去30年を見てこれからの未来を予測することがいかに馬鹿げたことであるかがわかります。歴史には確かにビ…
主の力 ここ数日、主に立ち返ってから自分の考え方が変わりました。それは主にある平安と誰も奪い去ることのできない喜びが心に溢れているからです。現在においても、はたからみたら見えるところの現状はよくありません。また現実も厳し…
間違った声と間違った場所 昨日に続けます。自分は間違った声を聞き、間違った場所にいました。しかし、主は語り掛けてくださいました。その語りかけは、アダムに対する言葉のようであったかもしれません。 主なる神は人に呼びかけて言…
浮き沈みの激しい このブログは「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」を標榜しています。それは、これまで自身の信仰は浮き沈みが激しかったからです。たとえば、集会で恵まれた…
今はそっとしておいてほしい 最近僕はイエス様に対して「今はそっとしておいてほしい。」と思っているということを書きました。 1543_もう入ってこないでそっとしておいてほしい そのような中でイエス様は御言を通して「ほうって…
どの書の何章だったっけ? 今日は作ったWebサービスの本番バージョンを公開しようと思います。このアプリは下記目的があって作りました。 「この言葉、聖書のどこかで読んだ気がするけど…どの書の何章だったっけ?」そんな経験、あ…