アファメーション
みなさんは「アファメーション」という言葉を知っていますでしょうか?これは自己啓発には欠かせないテクニックで、自分自身に肯定的な言葉を繰り返し唱え潜在意識に働きかけることで、自己肯定感や目標達成を促す方法とされています。
僕は10代の頃、このようなテクニックを馬鹿げたものだとみなしていました。特に若かりし頃の僕はペンテコステ派のバックグラウンドを持っているので祈って聖霊に満たされることこそが重要だと考えていたからです。
言葉には確かに力がある
しかし、20代後半あたりから言葉には確かに力があると思うようになりました。なによりも聖書の言葉は人を変える力があると確信するようになってから、この「アファメーション」を自分の人生に取りこむようになりました。
たとえば、暗唱聖句ノートを音読しています。また「イエスの血潮を宣言する祈り 内なる人を完全に建て上げる」のような聖書の御言に基づいて整理された宣言文を伊野入りに取り入れることもしています。
そして、今は英語の勉強もかねて英語での祈りの「アファメーション」をノートに少しずつ書いていってそれを毎朝よむこともしています。
御言によって霊の実が結ぶこと
今では確御言には力があり、主との交わりに入るためにはこれらは欠かせないとさえ思っています。しかし、こういった方法でいつもうまくいってきたわけではありません。なぜなら、心がないのに宣言しても霊には響かないからです。僕は一時期機械的にこれらを音読していたことがありました。そういったことも決して無駄ではないと思います。
なぜなら、知性や知識は実を結ぶからです。しかし、大切なのは聖書の御言によって霊の実が結ぶことです。
ただ、主を褒め称えて
先日は「習慣の力」という書籍で強力な悪習慣から解放されるには「信じる心」が重要だと書かれていたと言いました。当然、この「アファメーション」にも必ず信じる心が必要になります。
クリスチャンがアファメーションをするのは自己肯定感や目標達成を促すためではありません。もちろん、潜在意識に働きかけることでもありません。ただ、主を褒め称えて主との深い交わりにはいるためです。
神様に近づきたい
人によっては信仰に自己啓発的側面を持ち込むのは危険だと思われるかもしれません。それはそうだと思います。自己啓発には神はいらないからです。しかし、何としても神様に近づきたい。神様ともっと深く交わりたい。という動機から手当たり次第何かを試みることは悪いことではないと思うのです。













