Xでのポスト
先日、X(旧Twitter)でフォローしているキリスト教関係のアカウントがこのような御言をポストしていました。
“Don’t worry about anything; instead, pray about everything. Tell God what you need, and thank Him for all He has done.”
Philippians 4:6
この御言はピリピ人への手紙 4:6で日本語の口語訳聖書ではこのように書かれています。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
ピリピ人への手紙 4:6
英語の聖書のバージョンに関しては詳しくないのですが、日本語版と少し表現が違うようです。
カジュアルに励まされるように
英語の表現はストレートで、どこか友人に肩に手をかけられてカジュアルに励まされるように語り掛けられているような気になりました。僕の英語力が低いからそう思うかもしれませんが、なんとなくこんな感じです。
「心配するなって!なんでも祈ったらいいんだよ!君の必要を神様に伝えるんだ。そして、彼がしてくださったことに感謝しよう。」
僕はこの御言を見た時に、自分の必要とは何か?と自問しました。僕に必要なものはお金でも時間でも名誉でも承認でもありません。今僕が必要としていることは「変えられること」でした。
彼がしてくださったこと
先日のブログにも僕には変えたい三つの悪い習慣があると書きました。僕に必要なのは「変えられること」です。そして、聖書はそれを神様に言ったらいいと書いています。僕はそのまま言葉を受け取って、三つの変えられたい悪習慣を主に伝えました。そうすると、続く御言に目がいきました。
“and thank Him for all He has done.”(彼がしてくださったことに感謝しよう)
彼がしてくださった最大のことは魂の救いです。主は僕の魂を救うことさえできました。確かに暗闇から光へ、絶望から希望へ、不平不満から感謝へ、悲しみから喜びへと変えられたのです。僕はそのことに感謝しました。そして、その確固たる事実があるのであれば、僕の悪習慣を変えることだってできるはずだという信仰がやってきたのです。
御言には命がある
御言には命があり、人の意識を変える力があることを改めて思いました。そして、英語の聖書の表現は刺さりやすい場合もあると思いました。今はまだ少しずつですが、英語の聖書の御言も暗唱していきたいと思います。













