0310_フェア・トレードコーヒー

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コーヒーを淹れる

今日は久し振りに近所にある焙煎コーヒー豆を販売しているお店に行きました。友人へのプレゼントが目的でしたが、自分用にも豆を500gほど購入しました。豆が密封された袋を開けると、店主の手で焙煎されたコーヒー豆の良い香りが漂いました。その後、手動ミルで一杯だけ中挽きしていきます。すると、先程とはまるで違う豆が深く焦げた濃厚な香りがします。そして、ペーパードリップで、お湯を注ぐと、蒸気によって、まろやかなコーヒーの香りがします。

普段はインスタントコーヒーで済ましているので、たまにこういった時間をつくって、美味しいコーヒーを自分で淹れるとカフェなどでは味わえない体験ができます。黒い宝石と言われていた時代と比べるとグローバル化で安価でコーヒー豆が購入できる時代になりました。ただ、近年、気候変動によるコーヒー豆の不作や様々な物価上昇の影響を受けているので、このような贅沢はできなくなるかもしれません。

フェア・トレードコーヒー

流通しているコーヒー豆の中には、フェア・トレードコーヒーと言われるものがあります。一般的にコーヒーの生産国は主にアフリカや南米などの南半球に集中しているので、どうしても、北半球の国々が現地の安い労働力で生産させて買い叩くという構造ができてしまいます。特に、子供などに労働させて搾取するような劣悪な業者もいるようです。その中で、「このコーヒーはきちんと合理的な正当な対価を払って生産されたコーヒーですよ」とされているのがフェア・トレードコーヒーです。

個人的に、カフェなどでフェア・トレードコーヒーを使っていると明示しているところはほとんど見たことがありませんが、キリスト教系のカフェでフェア・トレードコーヒーしか使っていないと明示しているのを見たことがあります。もちろん、フェア・トレードコーヒーと明示されていないものすべてが搾取されて生産されたものではないと思いますが、自分が何かを買うことは、つまり、その企業を応援していることにつながるので、できる限り、フェア・トレードコーヒーと明示されているもの購入したいと考えています。

アンフェアなトレード

フェア・トレードという言葉があれば、もちろん、アンフェア・トレードも存在します。この地上で最もアンフェアなトレードは何でしょうか。個人的には父なる神が僕を救うために御子を遣わし命を捨てたということです。あるいは、神の子なるキリストがご自身を捨てほどまでに僕を愛してくださったことです。この自己中心的な者に何の価値があるのでしょう。話すこと、書くこと、表現することなど表面的にはうまく繕えていたとしても、心の中、頭の中は、ろくなことを考えてない者です。若かったころも、そして、年をとっても本質的には何も変わっていないのです。ただ、希望があるのは、今自分がゆるされていること、そして、神に頼り、聖霊の力によって、創り変えられていくということです。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
ヨハネⅠ4:10