1016_求道中の方のために祈ったら喜びが満ち溢れた

嫁さんの助言

先日すごくうれしいことがありました。それは、今教会に来ている求道中の方のために一緒に祈ることができたからです。その日、教会の礼拝では僕は嫁さんと一緒に座っていました。そうしたら、嫁さんが「あそこに求道中の人があるから隣に座ってきたら?」と言いました。

それを言われた時僕の心は「今日は聖餐式の奉仕があるから、できれば奉仕に集中したいな~そもそも嫁さんに言われていくのもいやだな~」と僕の肉の性質がぶつぶつゆっていました。

祈りの言葉

しかし、嫁さんのいうことが正しいと思い席を移動しました。礼拝が始まる間際だったので、新年の挨拶を軽くだけしました。その後、説教が始まると最初の聖書箇所はすぐに開けていたようなのですが、開く聖書箇所が増えてきたのでページ数を教えてあげるチャンスが5回ほどありました。隣に座ってよかったと思いました。

そして、礼拝をしている時に、今日は礼拝が終わったらこの方のために声を出して一緒に祈りたいと思いました。祈る言葉もいくつかのキーワードが降りてきました。それはこのようなものでした。

天のお父様は〇〇さんが生まれる前から〇〇さんをずっと愛してくださっていました。
そして、今時至って〇〇さんがあなたの御前に出ることができていることに感謝いたします。

祈る前に祈った

これが神様が求道中の方にどうしても伝えたいメッセージだと思いました。礼拝中も説教を聴きながら、祈る時に聖霊が働かれるように祈りました。聖餐式の奉仕が終わって、礼拝が終わる前には祈る前に少しの雑談の中にも主がいてくださるように祈りました。

礼拝が終わって話始めると、最近職場の環境が変わったことや体調が悪かったことなどを話してくれました。そして、「〇〇さんのために祈っていいですか?」というと、喜んでくれました。そして、神様から与えられてキーワードとその方の職場や家庭での祝福などを祈りました。

この上ない喜び

祈りが終わったあとの求道中の方の顔がとても嬉しそうだったのが印象的でした。礼拝が終わってからはその方からLINEが来ていて、自分が思っていることなどが書かれていました。僕はイエス様が働いてくださったんだと思いました。正直、年末年始の休暇で一番うれしかったかもしれません。

神様の御心の働きに参加させて頂けることほど大きな喜びはないと確信しました。そして、帰宅して嫁さんに「今日は隣に座ってきたら?」ってゆってくれてありがとうと伝えました。引き続き祈りたいと思います。

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