1594_クリスチャンは信仰的であるべきか
信仰も恵みによって与えられる クリスチャンは信仰的であるべきだというのは聖書的であり正しいと思います。なぜなら、もし信仰を働かせなければ、現実、事実、見えるものに流されてしまうからです。流された瞬間に小さな疑いの芽が植え…
キリスト教信仰
信仰も恵みによって与えられる クリスチャンは信仰的であるべきだというのは聖書的であり正しいと思います。なぜなら、もし信仰を働かせなければ、現実、事実、見えるものに流されてしまうからです。流された瞬間に小さな疑いの芽が植え…
キリスト教信仰
主が与え 最近はこの御言が心に留まっています。 ヨブ記 1:21 そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。 それは、今更ながら僕はこれまで与…
キリスト教信仰
主を知ることこそが信仰のはじまり 昨日は、赤ちゃんが死ぬ可能性が高いと言われている状況の中でも、主はいつでも癒すことができるお方であるということを書きました。なぜクリスチャンはそう思えるのでしょうか。それは主について知っ…
キリスト教信仰
イエス様はなんでもできる お腹の中の赤ちゃんは生まれて間もなく亡くなる、もしくは、予定日前に亡くなる可能性が高いと医者から言われており、実際的な準備を進めています。葬儀屋との打ち合わせ、どのようにお葬式をするのか、骨壺を…
キリスト教信仰
何のために生きるのか? 多くの人は命が直線系と考えていると思います。死と同時に線がそこで終わってしまうのです。しかし、素直に自分の心や魂の声に耳を傾ければ、自分の命が終わるということほどの矛盾と違和感はないと思います。な…
キリスト教信仰
人の命は直線か円を描くのか? 人の命は直線か円を描くのか?いずれの認識をもっているかで生き方が変わると思います。直線系の人生とは生まれた瞬間から死ぬまで一直線になっており、死と同時に直線が終了するというものです。自身の財…
キリスト教信仰
イエス様の生き方 昨日は、「なぜ、まだ生まれてもいないのに死ぬことを考えないといけないのか?」ということを書きました。しかし、これはキリスト教信仰では原則の一つでもあります。僕はそのことをこれまで深く考えずに生きてきたの…
キリスト教信仰
なぜ自分は? 自分自身が試練の中を通っている時に「主は良いお方」や「主は気前のいいお方で良いことをしてくださる」という言葉を聞くと反射的に素直にその言葉を受け入れられないということを経験しています。もちろん、主は間違いな…
キリスト教信仰
その原因を罪に見出す 昨日は「人は変わらない以上、歴史は必ず韻を踏む」と書きました。文明の進歩によって人は変わったように思います。実際、一人当たりの知識、寿命、生産性などは右肩上がりです。しかし、人間の本質的なところは何…
キリスト教信仰
一匹狼的なところ ここ数か月僕は、きちんと時間をとって一人で主の前に出ることができていません。それは今が苦痛の時だからです。苦痛の時だからこそ主の前に出ないといけないのですが、出れなくなってしまっています。しかし、それだ…
キリスト教信仰
超大型ブーメラン 僕は昨日、ソロモンが書いた箴言に対して「お前が言うな!」という感想を書きました。それは彼が誘惑する女性には気をつけろ!と書いていたにも関わらず、彼自身は多くの女性の誘惑に負けてしまい、偶像礼拝に加担する…
キリスト教信仰
ソロモンの箴言 最近は夫婦で箴言を通読しています。箴言は主にソロモンの知恵、教訓などが書かれていますが、処世術的なことも書かれています。つまり、信仰的なことだけにはとどまらない原理原則が記されているので、クリスチャンじゃ…
キリスト教信仰
縮小のサイクル 昨日はサイクルについて書きました。人はすべからず必ず様々なサイクルの中で生きています。それは四季であり、世代であり、潮流であったりします。もし、自身がサイクルのどの位置にいるかがわからなければ正しい判断が…
キリスト教信仰
サイクル この世界の原則の一つにサイクルがあります。人生の時間経過は直線ではないと思います。生を受けたと同時に突如として線が現れて死と同時に線が途切れるというようなものではないと思います。むしろ、四季がめぐるようにぐるぐ…
キリスト教信仰
クリスチャン誰もが経験しうること 昨日はクリスチャンとは主の恵みの中を生きるものでありながらも、簡単に恵みから落ちてしまい、時には恵まれている人さえも妬ましく思ってしまう汚さを持っていると書きました。これは他人のことを書…
キリスト教信仰
主の恵みの中 クリスチャンは主の恵みの中を生きています。主の恵みは魚にとっての水のようなものだと思います。魚は水なしでは生きていくことはできません。水はなくてはならないものでありながらも、当たり前のように存在しています。…
キリスト教信仰
ブログをやめようと思った ここ2か月、僕はこのブログを何度かやめようと思ったことがあります。今ある試練の中でとてもじゃないけど信仰的なことは書けないと思うようになったからです。これまで1500日ほど続けてきたから続けたい…
キリスト教信仰
重くて難しい決断 最近は家族のことに関して難しい決断を迫られることが多いです。赤ちゃんのことで医者から判断を迫られる度に夫婦それぞれが主に向き合って祈ります。それから、嫁さんと向き合ってそれぞれ得た答えを話し合い、夫婦と…
キリスト教信仰
キリストを中心とした人間関係 最近は夫婦における信仰について学ばされています。それは嫁さんがいて自身の信仰が守られたと感じることが多いのです。 2000年前に教会が誕生したように人間は教会というコミュニティーや人間関係の…
キリスト教信仰
順風満帆で大声で「ハレルヤ!」 僕はこのブログで「主と共に歩み続けること」を謳っています。しかし、いつも順風満帆で大声で「ハレルヤ!」と叫びたいというような状況ばかりではありません。僕は時に「聖書を読みたくない」と思って…