1297_ユースの世代は鋭い感覚をもって大人の信仰が本物か見抜く
教団のユースの集まり 先日の土曜日は教団のユースの集まりに参加してきました。といっても僕はとうの昔にユースから除外されていますので、今回は教会の子どもたちを連れて一緒に参加しました。その集まりには二つの教区からユースが集…
教団のユースの集まり 先日の土曜日は教団のユースの集まりに参加してきました。といっても僕はとうの昔にユースから除外されていますので、今回は教会の子どもたちを連れて一緒に参加しました。その集まりには二つの教区からユースが集…
自分に頼っては主を愛することすらできない ここ数か月僕は自身の信仰生活においていくぶん気が楽になりました。その理由としては、自分に頼っては主に対して真実であり続けることすらできないということがわかったからです。自分に頼っ…
毎日聖書を読んで教えてもらう必要 昨日はなぜ毎日聖書を読む必要があるのか?となぜ聖書によって戒められる必要があるのか?の2点について書きました。僕自身はくつわをかけられないと好き勝手にどこにでも行くロバのように制御しがた…
霊的に弱っていく 教会では聖書は毎日読むものと教えられてきました。その理由としては、聖書は霊的な食物であるためです。この肉体が毎日食事をとらないと活力がなくなり、不健康になったり正常な活動ができなくなると同じく、1日でも…
GPT4に確認 先日、通勤時に聖書を読んでいて理解できないところがあったのでGPT4に確認しました。もしかしたら「聖書のことをAIに聞くのはけしからん」と思われる方もいらっしゃるかもしれないので、過去に書いたブログの自分…
罪とは? 罪と聞けば、この世において法律に抵触することを思い浮かべるかもしれません。強盗したり殺人したりとそれらは目に見えるものです。それらを守っていればまぁ相対的にもましな人間だろうと思えるものかもしれません。これは狭…
地域の子供向けのイベント 先日は教会のCSで地域の子供向けのイベントを開催しました。外部向けのイベントは他の奉仕と比較して非常にやりがいがあります。なぜなら、福音宣教に直結しているからです。そこで語られた御言や賛美、イエ…
時間はすぐに過ぎ去る 数か月前に僕はこのブログで自身の子供がまだ主に出会う体験をしていないので焦っていると書きました。 1225_2歳の子供がまだ救われていないので焦っている まだ子供は2歳3か月ほどなので何を焦る必要が…
主のやり方は毎回違う 昨日は、人は過去のリバイバルを見てこれからを見ようとする傾向があると書きました。それは言い換えれば、過去の現象や方法をもってしてこれからのリバイバルを人間的に見るということだと思います。過去の人の集…
福音宣教は主の働き 福音宣教は主の働きであり、聖霊が働かれないとイエスを主と告白できません。しかし、福音宣教は確かに社会情勢や文化やその国の人の行動様式の中で行われるものであるとも考えています。社会情勢に関して、日本にお…
恵みの中を生きたいが クリスチャンであれば誰でも信仰によってキリストの恵みの中を生きて律法主義には生きたくないと願っていると思います。それは福音書にも多く書かれているように律法主義に陥った当時の宗教的指導者たちがキリスト…
僕は羊 僕は自分が弱い存在であることをある程度知っていますし、実感もしています。さらに、まだ自分が知らない弱さも持っていることも知っています。それは最近書いている自分の言行が一致していないことや理性の限界などについても書…
一つ一つ取り返していく 最近、主とともに生きて霊的に成長するということは、これまで闇の力に奪われていたものを一つ一つ取り返していく過程でもあるのではないか?と教えられています。それは、出エジプトしたイスラエルの民が戦いに…
意欲が完全になくなってしまった ここ数週間は身体的(親知らずの抜歯や体調不良)にも霊的(自分よがりの信仰の否定)にも様々な体験をしました。その体験が影響しているのかはわからないのですが、何をするにしても意欲が全く湧かなく…
個別のケースに対応するため 昨日は、イエス様は愛してくださっていて、義に導くために僕を叱責されることがあると書きました。その証拠として、イエス様は律法学者やパリサイ人には厳しかったですし、聖書にも「人を教え、戒め、正しく…
すべての罪は無知からくる 最近の自分の体験を通じて思ったことが、無知ほど恐ろしいものはないということです。すべての罪は無知からくるのだとも思います。そして、信仰生活とは日々、聖書や祈りや体験の中で自分の無知を神様に教えて…
肉において苦しまれた 先日からこの聖書の御言が心に留まっていました。 このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたの…
正直、なんで!? 昨日は主の取り扱いを受けるということは「はがされていく」という表現がしっくりくるのではないかと書きました。僕の場合は現在、自身の律法主義的な考えや見栄が剥がされていっています。 もちろん、それらは主の指…
はがされていく 最近の取り扱いを受けて神さまの前にへりくだるという過程はこのような表現がちょうどいいのではないかと思わされています。それは「はがされていく」ということです。「へりくだります!」と宣言して、自分でへりくだる…
自分の力で生きる信仰生活 昨日僕は、自分の力で生きる信仰生活は無駄だと書きました。確かに聖書にあるとおり、自分に死んで自分の十字架を背負って主により頼んで生きる信仰生活には意味があると思います。しかし、自分の力で生きる信…