1680_気が抜けると風邪をひくように聖霊が抜けると霊的な風邪をひく

緊張から解放

先日久しぶりに風邪をひいてしまいました。僕の場合、毎年夏に必ず体調を崩すのが恒例になっていたのですが、今年の夏は乗り切ることができました。というのも、今年の夏は、自分が倒れたらにっちもさっちもいかなくなる状況だったからです。今年は5月頃からずっと気が張っていました。

しかし、いろいろ落ち着いて秋になり少し緊張から解放されるようになりました。そこに急激な寒さが襲ってきて風邪をひいたわけです。

かかるわけにはいかない

その時に、はじめて嫁さんはいつもこんな状態だったんだと思わされました。なぜなら、子どもも僕もインフルエンザにかかっても嫁さんだけはかからないことが多かったからです。家族全員がコロナに罹患しても嫁さんはかかりませんでした。

それは、自分が倒れたら面倒を見る人がいなくなるから「かかるわけにはいかない」というという気があったからだと思います。

状況に対する自身の在り方

病は気からとはよく言ったもので、気が抜けていると病にもなるし、逆に気がはっていたら乗り切れることもあるのでしょう。気というと東洋思想のイメージがありますが、気とは状況に対する自身の在り方とも言えると思います。

たとえば、常在戦場の意識がある人とそうでない人とではどんな違いがあるでしょうか?きっと状況に対する反応や判断は変わってきますし、そういう意識のある人のほうがより研ぎ澄まされたアタリのいい意思決定ができると思います。

僕は気楽にのほほんと生きることのほうがいいなぁ~と思うことがあります。しかし、実際はそうなったらきっと生活の質が落ちて自分が生きたい生き方じゃなくなるのだと思います。

気や自由意志

信仰はどうでしょうか?僕は信仰も主から恵みによって賜物として与えられるものだから「委ねます」という言葉を都合よく使うことが多いと思っています。かたや、気や自由意志を使うことなく、「助けてください」と祈ったけれど何も起きなかった。信仰はそれ以上でもそれ以下でもない。くらいに思っていたのかもしれません。

しかし、実際は霊的な戦いの中にいるという常在戦場の気や、自分の自由意志によって自分のやりたい肉欲を捨てて主を選び取るということこそが信仰だとも言えます。

熱くもなく冷たくもない

最近、僕は自分が生ぬるいと感じています。熱くもなく冷たくもない。そして、これまでの経験や見たものから自分の信仰の幅を縮めているようにも思います。気が抜けることで風邪をひいてしまったように、もう一度、気(聖霊)に満たされることによって霊的な風邪をひかないようにしないといけないと思っています。

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