1679_悪い習慣をアンインストールするほうが大変

悪い習慣をアンインストール

今日も習慣について書きます。経験的に良い習慣をインストールするほうが楽で、悪い習慣をアンインストールするほうが大変です。なぜなら、悪い習慣とは悪癖であり、中毒性があり、肉欲などと強く結びついているからです。古い自分が手放したくないものである場合が多いからです。「わかっちゃいるけどやめられない」のようなものです。

だから、悪い習慣をアンインストールするにあたって軽い気持ちで望むならば間違いなく失敗してしまうでしょう。なぜなら、人間は安きに流れやすいからです。だからこそ、本腰を入れて動機を明確にしなければなりません。

自分に厳しくしない

そして本気になって取り組むにあたって覚えておくことがあります。それは「自分に厳しくしない」ということです。これは先ほど書いたことと矛盾するかもしれません。なぜなら、本気で取り組むならば当然自分に厳しく、ストイックになるべきだからです。

しかし、僕の経験上、そのような態度で取り組んだ場合、継続が困難になることが多かったです。それは、失敗したことで「自分には無理だ」と落ち込み、継続できなくなるからです。ようはストイックにやればやるほど、反動が大きくなるのです。

難しいことをしようとしている

それは、ダイエットのリバウンドと同じようなものです。絶食、短期間での過度なダイエットは継続性がありません。一時的に痩せれたと思っても反動が大きいのですぐにリバウンドしてしまうのです。悪い習慣をアンインストールするのも同じです。

最初にも書いたように悪い習慣をアンインストールするほうが大変なのです。だから、相当な戦い失敗、または継続することが困難になることを想定した上で取り組まないと思っています。しかし、それは決して軽い気持ちで取り組むということではありません。それだけ難しいことをしようとしているのです。

僕の意思の問題

僕は3つの悪い習慣をアンインストールすべく奮闘しています。ある人は「クリスチャンだから主によりより頼めば簡単にできるでしょ?」と思われるかもしれません。しかし、実はそうでもありません。なぜなら、これは僕の意思の問題だからです。つまり、本当にやめたいと思っているのか?あるいは、二心で生きたいよねと思っているのかなのです。

もし後者だと思えば僕は主により頼むこともしないでしょう。これは難しい問題ですが、とりあえず、取り組んでみます。

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