悪癖を放置する理由
先日から何回か習慣について書いています。これまで僕は良い習慣を生活にインストールすることばかりに目をとられていました。そして、それで十分満足していたのです。しかし、実際に着手しないといけないのは悪い習慣に対してです。それをアンインストールしなければ、いつまでたってもあるべき姿にはなれないと思うようになりました。
僕が悪癖を放置して良い習慣をインストールすることばかりに囚われていたかには理由があります。それは、聖書のヤコブ書にもあるとおり、二心のままでいたいと思っていたからです。エリヤ風にいうならば、バアルにつくのか?万軍の主につくのか?はっきりしていなかったからです。ようは悪い習慣は肉が喜ぶから残しておきたいと思っていたのが本音だったのです。
配線の繋がりを弱める
習慣とは無意識に行われるものです。インストールする際には意識的に取り組まなくてはいけません。僕はやめたい悪癖をはっきりとノートに書きました。これではじめて悪癖が自分から切り離されて客観的に向き合えるようになります。自己啓発野郎と思われるかもしれませんが、僕は毎朝をそれを見て口で告白するようにしています。それは、まずは本当にやめたいという願望を無意識レベルに自分にわからせるためです。
しかし、悪癖とは中毒性があるもので、やめるのは容易なことでないのも事実です。一度形成された脳の回路はそんな簡単に変わりません。それであらゆる手段を使って配線を書き換える、あるいは、配線の繋がりを弱める必要が出てくるのです。
配線を完全に断ち切るのは難しいかもしれません。しかし、配線の繋がりを弱める。そして、他の配線の繋がりを強くすることによって習慣を変えることが出来ると信じています。
フィジカルな側面から
配線を書き換えるのにまず必要なのは動機です。なぜ変える必要があるのかに関して切実さ当事者意識がなければ何をしてもかわりません。そして、それが明確になったならば言葉の力を借りて自分を制御することを試みます。そしてさらにいい方法があります。それは運動をすることです。
普通に考えたら運動に影響力があるのか?と思いますが、脳は精神的なものであり、かつフィジカルである以上、運動はフィジカルな側面から脳に働きかけて、実に配線をそのまま弱めたり書き換えてくれたりするのです。
習慣は変えられる
実際僕は、運動をするようになってから何か習慣を生活にインストールするのが早くなりました。動機、言語、運動によって、少しずつ習慣は変えられると信じています。













