1677_あの時のみずみずしく研ぎ澄まされた一日がほしい

今が一番いい

人生においては、「今が一番いい」と思えるのが幸せな人生だと思います。なぜなら、「あの頃が良かった」とか「あの時のほうが良かった」と嘆いても過去は変えられないからです。

「今が一番いい」と思える人でさえも過去に最善のベストな決断や判断をしてきたわけではないでしょう。「あんなことしなければよかった」とか「言わなければよかった」などあるものです。

別の意味付けをする

「今が一番いい」と思えるかどうかは、過去をどう解釈するかにかかっています。言い換えれば、別の意味付けをする、俯瞰してみる、別の視座や視点から見るなどによって、最悪な過去でさえも昇華することができると思っています。クリスチャンは総じてそれが得意だと思います。それは、聖書の御言から神の目線から過去を解釈することができるからです。

そして、もっと健康な魂は「今が一番いい」と思いつつも、将来にはさらに素晴らしいものが備えられているという希望です。それは決して物質的なものではありません。それは、天のふるさとであり、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられる望みです。

あの時の生き方がベスト

上記が原則なのですが、僕には「過去のあの時の生き方がベストであった」と思うことがあります。それは、環境も心も整っていて常に研ぎ澄まされた日々を歩んでいたからです。その時期とは浪人した時期です。浪人した前年に僕は主に出会い、これほどの幸福な人生はないと思い歩んでいました。

また、社会のどこにも属さない切り離された自分が非常に不安定な存在であったことも大きかったです。それゆえに大学合格という目標に向かってがむしゃらに全精力、全精神を投入できていたのだと思います。

研ぎ澄まされた一日を渇望している

ひるがえって今はどうでしょうか。正直に言えば、イエス様に対して当時ほどの熱さはないのです。よく言えば安定していますが、悪く言えば熱くも冷たくもない状態です。また何かに向かって全力を注ぐ対象もないように思います。ただ、仕事、家事、教会のことをして日々が流れていくというような生活です。

結婚したからにはある程度の安定は求められるべきです。横にそれるのも危ないし、攻めすぎるのもよくありません。しかし、今の僕は自身が浪人していたあの何にも代えがたいみずみずしい、研ぎ澄まされた一日を渇望しているのです。

自分とイエス様の関係次第

きっとそれは何か突飛な出来事を必要としません。また何か大きなことにチャレンジする必要もないと思います。ただ、僕がイエス様と本当に歩む時にそのみずみずしさや研ぎ澄まされた一日が与えられるのだと思っています。ようは自分とイエス様の関係次第です。

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