人生が安定
最近自分の人生が安定しすぎていてよくないと思っています。それは決して経済的や社会的に安定しているという意味ではなくて、僕個人の生き方として安牌になっているということです。仕事にしても毎年新しいことを勉強して、取り組む時も新しいことを導入してやってはいますが、それも大きな筋から大きく外れることがなかったり、これまでやってきたことの周辺あたりまでしか開拓できていません。
信仰生活にしても、奉仕や周りの人との付き合いなど時間がある限りはやってきていましたが、それも一歩踏み込んだ伝道はできておらず、果たして、今晩命が取られるとなった時に後悔する気しかしていないのです。
外部からの不可抗力
そうなった時に、手当たり次第何か新しいことをしてみるというのもいい作戦だと思います。新しい気づきや新しい発見は人生にいい影響を与えるからです。しかし、それが安定を覆すレベルになるかというと疑わしいです。
なぜかというと、人間はほとんど外部からの不可抗力的な影響から安定を覆さ絵られない限りは自分で安定を捨てることが難しいからです。ショック療法などはそういった点から効果があると思います。
神様に祈ろう
と言いつつも、外部からの不可抗力的な影響を受けるのはとても怖いものです。それには天災、金融危機、倒産、病気などが考えられるからです。しかし、そうったことを通して人間は根本的に変わるのも事実です。
僕は神様に祈ろうと思っています。自分が人として信仰においてより一層成長できるような環境においてくださいと祈ろうと思っています。こういった祈りをするのは簡単なことじゃないかもしれません。しかし、人生全体で見た時に、こういう祈りをして成長するほうが結果、コスパはいいのです。
試練を通して成長する
なにも信仰の話じゃなくても、「若い時に苦労は買ってでもせよ」というものです。信仰がまだ若い時に苦労をしておけば、そこから結ぶ実は多くなりますし、いい実をならせることができます。もし、試練を通して成長することを恐れるなら、いつまでも未熟なクリスチャンのままになってしまうかもしれません。
だから、祈りつつこう宣言したいと思います。
「僕の年末、年始はいよいよチャレンジングになってくる」