かつて日常だったのが
年始は久しぶりに高校の友人たちと集まりました。多くが自分たちの家族をもっていて総勢30名ほどの集まりになりました。懐かしくも新鮮な時を過ごすことができました。不思議に思うのは、高校時代には当たり前であった日常が、今では簡単に会うことはできないので、非日常になっているということです。
このように過去に日常であったものが非日常になることがあります。それと同時に、過去非日常であったことが日常になることもあります。そして往々にして、人は非日常を体験したいと思うのではないでしょうか。
非日常が日常に
ディズニーランドは多くの人にとって非日常だと思いますが、もしディズニーランドに1年も住めば日常になってしまうでしょう。人間は慣れる生き物なので、非日常だと憧れていたことも、いずれ日常になり飽きてしまうことがあると思います。新鮮さがなくなったり、感動がなくなったりしてしまうのです。
しかし、通常多くの人は日常を送っています。つまり、非日常に憧れる側にいます。非日常を味わうために、旅行に行ったり、ライブに行ったりすることもあるかもしれません。あるいは、結婚したら非日常が待っていると期待するかもしれません。しかし、いくら期待していたとしても、慣れてしまうので、いずれは日常に代わってしまうのです。
おそらく誰にとっても、メリハリをつけて非日常を楽しむのは可能だと思います。しかし、もし非日常を日常的に追い求め続けるのであれば、より大きな変化や刺激を自分に与え続けるしかなくなるでしょう。そのような生き方はお金や時間がある人は可能かもしれませんが、全員ができるわけではありません。
日常に小さな非日常を
僕が考える人生を豊かにする非日常との付き合い方とは、スポットで非日常の大き目イベントを設けつつ、日常の中で小さな非日常を意識的に作っていくということです。先日も書きましたが、例えば通勤ルートを変えるとか、普段買わない食材を買って料理するとか、誰かに会うとか、ベランダで寝袋に包まって寝るとか、そういった1日の中に小さな非日常を求めるということです。そうすれば、毎日が単調にならずに変化をつけることができて、豊かな人生につながると思っています。
今与えられている日常はいつ非日常になるかわかりません。最も実現してほしくないのは悪い非日常になってしまうことです。もし、そうなったら、今ある日常が非日常になるでしょう。だからこそ、今ある、当たり前の日常に感謝して生きて生きたいと思っています。