霊的な状態を土台
このブログではずっと、クリスチャンにとって自身の霊的な状態が最重要ですが、精神や身体も無視することはできないと書いてきました。霊的な状態を土台とし、それに精神と身体が相互作用を与え好循環を生み出すと考えています。だから、クリスチャンは好循環を生み出すように管理が任されています。
たとえば、僕は自身の霊的な状態で行き詰ったことがありますが、その時に精神と身体からアプローチをかけることにより、霊的な状態を打開する突破口を開くことが出来たことも少なくありませんでした。
バランスを保つ
たとえば、霊的な状態が落ちて落ちこんでいても、軽い運動をして汗を流せば爽やかな気分になります。それが突破口になり、祈り、賛美、御言に繋がり霊的な状態が良くなるという場合もあります。
個人的にこのバランスを保つのは簡単なことではないと思っています。にもかかわらず、教会で語られることは少ないように思います。教会で霊的な分野のみが強調されるのは自然なことですが、冒頭にも書いたように精神、身体も無視できないのです。
断食がチャレンジ
最近は、身体においては食生活、運動をに気を付けています。また精神においては定期的な読書や音楽を聴くことに重点をおいています。しかし、それでもまだまだバランスは取れていないと感じています。僕には二つの課題があります。
一つは霊的な分野においてです。それは断食です。断食を数日するということが全くできていません。断食をすれば霊的な状態が引き上げられ、研ぎ澄まされ、主との関係がより親密になるとわかっているにもかかわらず着手できていません。だから、今年はできれば1日でもいいから祈祷院に行きたいと思っています。
楽器による賛美
次は精神の分野においてです。音楽を聴くことはしていますが、弾くことは全然できていません。母教会ではほぼ毎週奏楽の奉仕があったので楽器で主を褒め称える表現ができていました。また、コロナの時期は積極的にDTMで音楽を作ることをしていました。
しかし、今は楽器の奉仕は全くなく、日常的にも全く引かなくなっています。歌で賛美をするのことも素晴らしいですが、楽器で賛美することも素晴らしいです。なぜなら、声では表現できない方法で主を褒め称えることができるからです。
祈祷院に行く
日常に楽器での賛美を取り入れることに関してまだ具体的な案はありません。しかし、まず祈祷院に行く事に関しては嫁さんに相談して秋か冬頃に行こうと思っています。