1597_時代によって適用可能なもっともらしい経済学は変わる?

ほとんどの人がケインジアン

経済学にはいくつかの流れがあります。たとえば、古典派、オーストリア経済学、シカゴ派、ケインズ派などです。僕はざっと勉強しただけですが、自身の直感や信念に近いのはオーストリア学派だと思いました。しかし、世界で最も主流な考え方はケインズ派であり、ほとんどの人がケインジアンと言われています。

ケインズは中学校の教科書にも登場します。1929年の世界大恐慌の時に彼は政府が財政支出によって需要を作り出すべきだと主張しました。そして実際にその対応によって恐慌から脱することができました。

オーストリア学派

今の世界はどうでしょうか。今は不況ではないのに財政出動と金融政策によって好況を作り出そうとしています。中央銀行が国債を買い市中にマネーを放出する財政ファイナンスは当たり前になっています。自国通貨による借金は問題ないという現代貨幣理論があります。しかし、たとえ国であったとしても、借金しても問題がないというのは本能的にも直感的にも違和感を感じてしまいます。

それに答えを出してくれたのがオーストリア学派でした。特にハイエクの著書はその違和感に明快な答えをくれました。さらに、レイダリオは歴史から国が破産するということは何度も繰り返されてきたと主張しており、それは原則、法則レベルで非常に自然的で当たり前のことであると言っています。

未来もそれで問題がない

では、なぜこれまほどまでに考え方が違う経済学がそれぞれ主張されているのでしょうか?僕は時代によって適用できる経済学が変わるからと認識しています。普通は過去それで問題なかったし、今も問題がなければ、未来もそれで問題がないと思いがちです。ここで重要なのは現時点ではその主張に間違いはなく矛盾はないということです。

しかし、それは正しくないと思います。なぜなら、その考え方が今後未来、すべての時代に適用できるとは限らないからです。だから僕は歴史から数百年単位でビッグサイクルがあることを主張しているレイダリオの考えは正しいのではないかと思っています。

両極端に振れ切ること

僕は全然知識はないですが、ずっと漠然と思っていたことがあります。それは戦後とはいえ、なぜ僕の祖父母の世代は経済的に苦労したのに僕は今はしていないのか?ということです。文明が発達したから、人口が増えたから、生産性が向上したから、いろいろな理由はあると思います。

しかし、僕は今の豊かさが未来永劫続くとは思っていません。昨日も書いたことにも通じますが、両極端に振れ切ることは時代にも起こると思っています。

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