1707_騙されて失っていることすら気づかない

見破れているつもりで騙されてしまっている

昨日は、地面師詐欺について書きました。地面師詐欺集団が地主の「なりすまし」を用意するように、聖書に書かれているとおり、サタンや悪魔も天使になりますまします。また、地面師詐欺集団が「道具屋」を使って公的書類を偽造するように、聖書に書かれているとおり、サタンや悪魔も聖書を偽造します。

話だけを聞くと容易に見破れそうにも思える詐欺ですが、百戦錬磨の不動産屋でさえも騙されてしまうのです。つまり、クリスチャンの信仰生活においても、実は見破れているつもりで騙されてしまっているのではないか?というのが僕の仮説です。

気づかないうちに失う可能性

地面師詐欺の場合は、だいたいお金を振り込んだあと、法務局で登記を移すタイミングで騙されたことがわかります。しかし、信仰生活の場合は、なんと、騙されて失っていることすら気づかない場合があるのではないかと思います。

詐欺では主に大金、それによって会社や家族や地位や名誉などを失うように、信仰生活における詐欺においても失っているものは少なくないと思うのです。たとえば、罪の赦しの力、神の子としての地位、天の父との和解、人間関係の回復、個人の能力の回復などを気づかないうちに失う可能性があると思っているのです。

霊的な戦いに負けていることにすら気づいていない

大手企業すらプロの地面師に騙されることを考えれば、無防備なクリスチャンが騙されないということはないと思います。最も哀れなのは騙されていることにも失っていることにも気づかないクリスチャンです。霊的な戦いに負けていることにすら気づいていないのです。僕にもそういった時期があり、また今なおそういった状態に陥る危険性がある弱い者です。

しかし、勝つ方法があるのもの事実です。それは、朝一の祈りで、主の前に降参するという方法です。自分には到底勝ち目がないから主に助けを求める信仰があれば、主が戦ってくださるのです。そして、聖書の原則はまさにその通りです。

「結局こんなもんだな」と妙に納得

もし自分を過信したり「自分でできる」と思っているならば、欲に目がくらんで簡単に騙されて失ってしまうのです。失ったのち、その状態が当たり前になれば、もう失ったことすら忘れてしまい、「それが当たり前なんだ」、「クリスチャン生活とはこんなもんなんだ」となってしまいます。

なぜなら、僕が今まさにその分かれ目のギリギリのところにいると感じているからです。聖書の基準と自分の日々の生活を比較すれば「結局こんなもんだな」と妙に納得してしまいそうになるからです。

ただ主の十字架の血潮によって

しかし、主は確かにその道を歩ませてくださると信じます。気高い生き方、徳、人格を主が新たに僕のうちに創造してくださると信じます。もちろん、それは自分の力によるのではありません。ただ主の十字架の血潮によって、恵みと憐れみ中で行われることです。

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