3つのてん
先日3つの「てん」が大切ということを知りました。これは聖書に関するものではなく、誰が言った言葉です。3つのてんとは「転換」、「展開」、「点を打つ」ということです。まず「転換」によって自分が変わります。それはパラダイム・シフトと言われているものかもしれません。自分の価値観やあり方、生き方をなど根本部分が変わることです。
大切なのは転換しただけじゃ意味がないということです。そこから自分がこれまでいたコンフォートゾーンから抜けて展開していかなければなりません。さらにそこで、点を打ち続けると次第に意味が立ち上がってくるというのです。
クリスチャンの3つのてん
これはクリスチャンの生き方に似ていると思いました。というのも、クリスチャンはイエス・キリストの救いを受け入れて罪がゆるされるだけでなく、ペンテコステの日におきた聖霊の満たしが自分自身にも起こることによって造り変えられるところからスタートします。ヨエルの書に預言されていたように今の時代はすべての者に主の霊が注ぐ時代となりました。
ペテロやヨハネもイエス様と共に生きていたとしても、ペンテコステを経験する前はまだ人間の弱さの塊でした。自己中心的な思いや高慢な思い、さらに恐れや弱さを抱えていました。しかし、ペンテコステの日以降、彼らは御霊に満たされ、全く人が帰られたのです。
クリスチャンの転換と展開
弱かった者は強くなり、恐れていたものは勇気あるものとなり、大胆に神の言を伝える器へと変えられていきました。つまり、このペンテコステの体験こそが人間の「転換」となります。
そして、彼らは大胆に出てゆき、使徒行伝にあるとおり、文字通り、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、さらに地の果てまで出ていったのです。これが「展開」です。
クリスチャンが点を打つこと
そして、そこで彼らは御霊の導かれるままに活動し続けたのです。それは自分の思いと違っていたこともあるかもしれません。使徒たちもある時はアジアに行こうとしたが聖霊によって留められてマケドニアに行ったり、時には仲間同士で仲違いしたこともありました。
きっと彼ら自身、これからどのようなところに導かれるのかをわからずに主に委ねて毎日を生きていたのだと思います。それはアブラハムが主に召された時に行き先を告げられることなく主に委ねて一歩踏み出し、歩み続けたことに似ているかもしれません。
これが毎日点を打ち続けることです。主により頼み点を打ち続けさえすれば、いずれは点と点がつながり、線となり、線と線がつながって面となり、ついには面と面がつながって立体的な神の御心がわかるのだと思います。
それはもしかしたら、天国に行ってからわかることなのかもしれません。僕たちがすべきことはただただ主に信頼して毎日天を打ち続けることです。