1413_やりがいのあるプロジェクトが必ずしも儲かるプロジェクトではない

サラリーマンの運命

サラリーマンをしていてつくづく思うことがあります。それはやりがいのあるプロジェクトが必ずしも儲かるプロジェクトではないということです。

たとえば、今関わっているプロジェクトで社会法人向けの案件は非常にやりがいを感じます。たとえば、児童養護施設、里親支援などをサポートするWeb案件で「問い合わせが増えて助かっています!」と一声頂けるだけで残業無視してでも取り組みたいと思えます。

無職であった時代を思い出す

その一方で、やりがいはそれほどなく、むしろ、あまりやりたくないが、非常に儲かるというプロジェクトも多いです。炎上案件でボロボロになりながらもやり続けないといけない案件は「できることならやめたい」と思うこともあります。しかし、サラリーマンである以上、そんなことも言ってられません。

そういう気持ちになった時は自分が無職であった時代や30代にして時給800円で働いていた時代を思い出すようにしています。そう思ったら、やりたい・やりたくない関係なしに働けていることだけで感謝だと思えるからです。

不景気が来て失業率が上昇したら!?

昔と比べたら、今は働けることだけに感謝するというよりも、やりがいやワークライフバランス(WLB)やクオリティーオブライフ(QOL)を追求する時代になっていると感じます。それはそれでいいと思うのですが、それは今が比較的恵まれている時代だからとも思います。

もし、大不景気が来て失業率が上昇した場合、やりがいがどうだ、QOLどうだとか言っている暇はなくなります。むしろ、働けるところがあるだけで感謝という気持ちになると思います。そう考えると人間はとても単純な生き物だと思います。

大迫害が起きたら?

それは教会も同じだと思うのです。僕は以前教会で比較的多くの時間を捧げていた時期、「教会の奉仕ばかりしていたらQOLが下がる」と言っていたのです。これは上述のことと全く同じことです。僕の上の世代は生え抜きです。信仰のために両親と縁を切ったとか婚約者と別れたとかそういうレベルの人たちです。そういう人たちにとったらQOL?何甘いことゆってるんだ!となると思います。

しかし、今は昭和的価値観の信仰を若い世代に押し付けようとするのは無理だとも思います。しかし先ほど書いたように、もし、大不況ならぬ大迫害が起きるならQOLうんぬんゆっていられなくなるのではないでしょうか?だからもし今自身の信仰生活でぬるいな~と思うなら、大迫害が起こったらどうなるのか?と少し想像してみたら身が引き締まるかもしれません。

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