0621_記憶にない記憶によって繋がっている

幼稚園の時の友人

先日約10年振りに友人と再会しました。彼との接点は同じ教会の付属幼稚園に通っていたというだけです。小学校に進級してからは一緒に教会学校に行ったり、キャンプに参加したりしていましたが、彼が住んでいるエリアが車で数時間とだいぶ遠かったこともあり、中学生になると教会にこなくなり、ほとんど交流はなくなってしまっていました。

しばらくは数年に一度顔をあわせるくらいの関係でしたが10年ほど前に一緒に食事に行ってから定期的に連絡を取るようになりました。

大人になってから

その後、僕が中国へ行ったり、コロナが流行したりとなかなか会うタイミングがなかったのですが、ようやく時が満ちて再開することができました。彼と話をすると不思議な感覚になります。なぜなら、彼とは通っていた学校も違うし、趣味もバックグラウンドも全然違うにもかかわらず、少しも気をつかうことなくリラックスして会えるからです。

その理由としては、幼稚園時代の記憶にない記憶が僕たちを繋げているというのがあると思います。そして、何よりも、キリストにあって繋がっているというのが大きいと感じています。

流動的な関係の中で

小さかった頃に教会にいて一緒に遊んだ人たちはほとんどいなくなってしまいました。進学、就職、結婚などの節目、あるいはその他様々な理由で継続的に教会に来ることができなくなる場合は非常に多いです。それは僕自身も同じでした。

そういった流動的な関係の中で、小さい頃に出会って、今現在も繋がりが持てている人がいるというのは感謝なことだと思います。たとえ、記憶になかったとしても、記憶にない記憶が会うだけで無意識に活性化されて不思議な感覚へと導くのだと思います。過去における人とのかかわりはずっと続きます。

今現在の人との関係

そんなことを思うと、今がいずれ過去になる未来に向けて、人とのかかわりをもっと持ちたいと思いました。Withコロナといっても、感染が拡大したり、スポットで身近な人が感染したりとまだまだ油断はできないのですが、バランスをとって人と会っていく選択をしようと思わされました。

おっさん
■人間関係の豊かさは豊かな人生の土台

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