自身の習慣ですら当てにならない
このブログは数日遅れてまとめて数日分更新されることが常でしたが、最近は数週間遅れて数週間分まとめて更新されるようになっています。数週間も更新ができないなら、もう更新をやめようと思うのが普通かもしれませんが、未だにそうなっていません。
多くの人は自身の意思や習慣によってできるかもしれませんが、僕は自身の習慣ですら当てにならないと思うほど自分を信用していません。このブログを続けることができているのは、ただ神様の恵みだと思っています。
誰かに対して有益であるのがベストですが、それは僕にとって難しいことなので、ただ続けさせていただいていることに感謝しています。
人間側が取り組むこと
僕が「毎日書く」ということについて学んだのは2014年でした。それは、なぜかこの頃に知った尊敬したいと思える人はみな毎日書くことを習慣していたからです。単純な僕は僕も毎日書くことによって何かが変わるのではないかと思いました。
もちろん、信仰をもっているので、変えてくださるのは主ご自身です。変えられるのは聖霊の働きです。それが大前提ですが、そうであっても自分のやるべきこともあります。信仰生活にいて、シンプルに言えば、御言は覚えないと、ここぞという時に思い出せません。人間側が取り組むことで信仰に良い影響を与えることは多くあると思ったのです。
現時点における状態や価値観が顕わになる
書けば自分が何を大切にしているかがよくわかります。このブログでは同じようなことを何度も書いていますが、それが僕がその時に大切だと思っていることです。また時に全く信仰に関係のないことを書くことも多々あります。それはその時の僕の状態がそのようであり、僕の意識がそちらに向いているということがわかります。
つまり、書くことで自分の現時点における状態や価値観が顕わになります。自分を客観視することで初めて自分が今どうすべきかがわかります。その他、書くことでネガティブなことを主にあって恵みに昇華することもできます。
こどもに残せる
そして、最近強く思っているのが、このブログをそのまま自分の子どもに残すことができるのもメリットだということです。子供が成長した時に、当時僕がどのように考えどのような信仰生活を送っていたかがわかるからです。
僕にとってこの世界で生きていくことは決して容易なことではありませんでしたし、今もそうではありません。その中で、このブログが自身の子どもにとって何かのヒントになればいいなとも思ったりしています。